死んだ後【終活】
 
 
 
 
 
 肉体は、
 それ単独で存在するのか・・・?
 
 仏教そのほかの哲学では、
 
 人間は、死んで肉体を離れても、
 青春時代と同じ幽体をもって生きる・・
 と、教えられます。
 
 
 
 こういうのは、
 
 信じても良いし、
 信じなくても良い。
 
 
 だって、ですね
 
 来世や輪廻転生は、
 なければない、
 あればある、
 
 
 それを、ムキになって議論したところで、
 結論はでません。
 
 
 インドの聖者は、
 輪廻転生を認めるし、
 前世も認めるし、
 来世も認めます。
 
 
 
 人間の身体は二重構造で・・
 肉体が死んでも、
 幽体に身体をもって幽界の生活をするよ・・・
 
 
 インド哲学を要約すれば、
 こういうことです。
 
 
 インドの哲学は、
 
 地上世界(現世)と、あの世(幽界)。
 その行ったり来たりの、
 エンドレスな輪廻転生の循環を断ち切る手段として、
 
 瞑想による
「圧倒的なサマージ」に入る技術を編み出しました。
 
 
 人間は、地上世界でどうやって生きればいいのだろう。
 これが伝統的なインド哲学です。
 
 
 金持ちになった奴が勝ち、とか
 大きな屋敷に住んだ者が勝ち、とか
 
 そういう話ではありません。
 
 
 考えるべきは、
 来世とか、生まれ変わりとか、
 そういうのは、ないのか?
 なのです。
 
 
 もし来世があるなら、
 現世で、悪事をはたらけば100%不利になるので、
 悪事は、絶対に損だとわかります。
 
 
 来世がない、
 死んだらぜんぶ終了というなら、
 他人を押しのけてでも自分だけの利益を図る。
 
 こういう種類の人もたくさんいます。
 
 
 人生の構図、
 人生観、
 その根本は、来世があるかどうか・・
 それにかかってきます。
 
 
 
 おおくの人が道徳的なのは、
 天から与えられた「自然の摂理の知恵」をもっているからです。
 それは、直感的なものです。
 
 
 
 あの世があるなら、
 死んだ後、
 人間はどうなるんでしょうね?
 
 
 もっと具体的な問題として、
 
 あなたは、
 どうなるんでしょうね?
 そして、あなたの子供、あなたの家族、
 どうなるんでしょう。
 
 
 お墓を作れば、安全なのかな?
 
 たぶん、
 
 みんなわかってると思いますが、
 あの世の生活は、
 お墓では解決できない。
 
 でも、
 どうして良いかわからない・・・。
 
 
 
 次回、
 もう少し、語ります。
 
               −−2018年1月18日−−
 
 
 
 
 
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