黒 板【瞑想】
 
 
 
 
 
 瞑想アカデミー(旧綜合ヨガ研究所)が、
 小さな小さなヨガ教室だったころ、
 
 16畳くらいの狭い和室で、
 一週間に一回やってくる生徒さんたちが、
 静かにハタヨガ(体操ヨガ)をやってました。
 
 プラーナ(体内エネルギー)をゆっくり動かす体操です。
 
 その教室の片隅には、
 少し大きめの黒板がありました。
 
 
 黒板には、
 有名な聖者の言葉が書かれていました。
 
 例えば、こんな具合です。
 
 「心が消滅し、是非を思量するのをやめたとき、
  人は、サマーディに入る」
 
 「・・・ことわざにあるだろう。
  『私』はいつ解脱するのでしょうか。
  その『私』がなくなったときに。」
 
 
 黒板には、
 なんの説明もなく、
 ただ、聖者の言葉がならんでいました。
 
 
 黒板の文字をノートに書き写しても、
 あまり興味のない生徒さんもいましたし、
 疑問をもったひとは帰らずに残って教えあったり、
 先生に質問するために、腰を据えて酒を飲み始めたり・・
 いろいろでした。
 
 
 いま、
 ときどき、あのときの黒板が懐かしくなります。
 
 
 本を読みなさいと教えても、
 ほとんどの生徒は、真面目に本を読まずにやってきて、
 
 黒板に書かれている聖者の言葉を読んで、
 少しずつ、理解を深めてゆきました。
 ぜんぶ、いきあたりばったり方式でした。
 
 
 あの黒板、
 復活させてみようかなと思ってます。
 
 瞑想やヨガにの知識がまったくないひとでも、
 繰り返して、聖者の言葉を読むと、
 少しずつでも、理解が進むようでしたから。
 
 
 ときには、
 聖者の言葉について、
 簡単な説明も必要かもしれませんね。
 
 だって、
  『私』はいつ解脱するのでしょうか。
  その『私』がなくなったときに。
 
 なんていうフレーズを読んだら、
 意味がわからないし、
 いぶかしく思うのが普通の常識人というものですから。
 
 でも、これが
 「心頭滅却」の状態ですよ、とか
 「悟り」の境地ですよ、とか
 
 簡単な説明をつければ、
 なんとなく、聖者の言葉の意図が判ると思うのです。
 
 
 日本人の多くは、
 大学入試に出てくる、
 枕草子や芥川龍之介の文学は知っていても、
 聖者の言葉なんて知らないので、
 
 
 あのときの黒板に書かれた聖者の言葉、
 現代に復活させてみようかしら・・と思案中です。
 
               −−2018年1月17日−−
 
 
 
 
 
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