瞑想もバトルなのだ(小ネタ)
 
 
 
 
 
 瞑想に興味のないひとからすれば、
 
 瞑想とか座禅は、
 
 じっと座って精神を集中させるようなこと・・
 
 くらに思ってると思います。
 
 
 
 でも、実際には、
 
 体内エネルギーをあっちに送り、こっちに送り、
 
 特定のチャクラ(神経の集まる部位)に重点的に意識を集め、
 
 なんやかや、
 
 エネルギーコントロールで忙しいのです。
 
 
 
 普通のひとには、じっと座って静かにしてるようにみえるでしょうけど、
 
 上級者になるまでは、実際には、悪戦苦闘しています。
 
 
 
 瞑想の神髄ともいわれるインドの古典、
 
 「バガヴァッド・ギーター」は、
 
 戦闘シーンから始まって、
 
 戦闘を通してあれやこれやを学んでゆく物語になっています。
 
 
 精神の安寧、平和、リラックスを求める瞑想を説いた聖典が、
 
 激しい戦闘シーンから始まって、
 
 戦い(バトル)の中で学んでゆくには理由があります。
 
 
 
 瞑想は、激しいバトル(戦闘)なんです。
 
 
 無料公開したレベルG(レベルゼロ)でも触れましたが、
 
 瞑想というのは、
 
 静かに座って、おだやかにジっとしてるものではありません。
 
 ハタからみれば、
 
 なんだか、静かに精神集中をやってるようにみえるでしょうけど、
 
 実際には、体育会系的に、
 
 おりゃーみたいな感じで気合いを入れて、
 
 体内エネルギーを各部に移動させ、
 
 瞑想意識が激しいエネルギーに満たされたときは、
 
 歯を食いしばって激しいエネルギー反応に耐える訓練をするのです。
 
 
 
 見た目は静的ですが、
 
 内心は、完全に動的(体育会系的)です。
 
 
 そこでは、激しいバトルが展開されます。
 
 
 瞑想意識と身体意識のバトルです。
 
 
 瞑想意識は、身体意識を消滅させたいのですが、
 
 身体意識は、やすやすと消滅してくれません。
 
 
 最終的に、
 
 ニルビカルパサマージという高位サマージに入るまでは、
 
 両者の戦闘は延々と続くのです。
 
 
 まさに、バトルです。
 
 
 そこを乗り越えた、上級者は、
 
 さらに鍛錬を積んで、
 
 より高い瞑想意識に移行してゆきます。
 
 その先にも、いろいろありますが、
 
 もうバトル(戦闘)は終結していて、
 
 平和になったフィールド(意識/身体)を再構築します。
 
 
 わかって欲しいのは、
 
 瞑想って、
 
 だまって座って静かに精神集中してるのとはぜんぜん違う、
 
 そういうとこなんです。
 
 
 内心は常に動的であり、
 
 体内エネルギーのコントロールに必死になっています。
 
 
 雑念を消すとか、
 
 無念無想とかは、
 
 こういう激しいバトルを経験しないと実現できません。
 
 
 
 なんでも簡単に出来る時代ですが、
 
 こればかりは、ちゃんとした手順と時間を必要とします。
 
 
 瞑想バトルに終止符を打つテクニックは、
 
 レベル2/レベル3で説明しています。参照してください。
 
               −−2017年12月8日−−
 
 
 
 
 
 
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