瞑想の価値
 
 
 
 
 
 瞑想は、
 紀元前からインド/パキスタン/中近東で実践された
 身体と精神の関係を探求する経験科学です。
 
 長い歴史をもっており、
 失敗と成功の歴史を経て、
 現在では、ヨーロッパ、アメリカ、インドを中心に、
 安全確実な技法として普及しています。
 
 
 危険性はまったくないですが、
 世界中には怪しい教えもいっぱいあります。
 
 
 インドの聖典には、
 難しい理屈も書かれているので、
 だます人間がいれば、だまされる人間も生まれるわけです。
 
 
 ですから、
 道を正しくしようとする偉人が歴史上、繰り返し生まれました。
 
 
 それはいいとして、
 日本人の多くが疑問に思うことは、
 
 
 瞑想って、
 なんのためにやってるのか、です。
 
 
 簡単にいいますと、
 瞑想というのは、
 「本当のわたしってなんだろう?」という疑問を探る道です。
 
 
 人間は、
 
 お金があれば幸せだ・・・
 というような単純な存在ではありません。
 
 財産の多い少ないに関係なく悩みも苦しみもあるし、
 お金では解決できない面倒ゴトはいっぱいあります。
 
 逆に、お金でしか解決できないこともいっぱいありますね。
 だから人生は面倒なんです。
 
 
 最終的には、死が待っているので、
 
 あら・・・
 死んだらどうなるんだろう・・
 という不安も起きます。
 
 
 なんやかや、
 古代から人間の悩みは同じようなもので、
 それを解明するために、
 「わたしってなんだろう?」という根本のテーマを解決する、
 「道」の探求に取り組んだ先人がいました。
 
 
 世界中の有名な宗教家・哲学者・芸術家は、
 ほとんどが、そのような人々です。
 
 
 死が怖い、という不安からではなく、
 
 自分の人生を、もっともっと有意義なものとして楽しみたいから、
 瞑想を通した探求を行ったのです。
 
 
 現在では、アメリカ/ヨーロッパ/インド/アジア圏に、
 日常的に瞑想を行う人々が大勢います。
 
 瞑想を行うひとの宗教はバラバラです。
 クリスチャン、仏教、ヒンズー教、イスラム教・・・
 
 どの宗教を信じていても、信じていなくても、
 「自分は何?」という探求をする瞑想の効果にはまったく影響ありません。
 
 
 算数やスポーツのルールに国境がないように、
 瞑想も、宗教の垣根はないのです。
 
 だれでも、
 もちろん、神様を信じなくても、
 瞑想はできます。
 
 
 瞑想は、
 本当に、だれでも出来ます。
 例えば、事故や病気で四肢を失ったひとや失明したひとでも、
 健常者と同じ条件で完全な瞑想ができます。
 ハンディは、まったくありません。
 これは、あまり強調されないことですが、
 当たり前のことなので、ご理解ください。
 
 
 瞑想のことは、
 みなさんによくわかっていただけるよう
 今後も、説明に努めます。
 
      −−2017年12月1日−−
 
 
 
 
 
 
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