お 祝 い
 
 
 
 
 ノーベル賞を受賞した方とか、
 高校野球の甲子園大会で優勝した監督さんとか、
 オリンピックで金メダルをとった選手とか、
 NHKの紅白歌合戦に初出場するアーティストとか、
 
 よく、
 実感がないです・・・
 っちゅうことを、おっしゃる。
 
 たしかに、
 
 強く希望してきた夢が実現したときの感想って、
 夢に対するあこがれが強いほど、実感がわかないようで・・・
 
 
 わてのような小市民でいえば、
 例えば、高校受験とか大学受験とかしかないけど、
 
 何人かの同級生が、
 模擬試験では可能性ゼロ判定だった大学に受かったときに、感動して会いに行ったりしたけど、
 
 とっても喜んでるんだけど、
 なんか実感がわかない・・・みたいなことを云うのです。
 
 ダメだろうと思ってチャレンジしたら、まさかの合格になったとき、なんか実感がわかないそうで、判然としないというのか、モヤモヤっとした気持ちになるようで・・・
 
 
 狐につままれたような・・・という表現があるけど、
 そんな感じみたいで、
 嬉しいけど、
 なんか実感がわかない・・・・
 
 
 らく〜んさんは、
 季節の移り変わりの行事(秋分とか春分とか端午の節句とか)
 そういうのを大切にするひとで、
 
 ・・・む〜ん、そういう季節の行事に無関心なおらのようなアホは、
 らく〜んさんがいつもひとりでぼたもち(牡丹餅)を食べたり、
 冬至にはかぼちゃをたべたりしてるのをみて、
 おもしろい人だな・・・とおもってたけど、
 
 あれだね・・・
 季節の移り変わりを、なんかの形で表現して祝うって、
 考えてみれば、めりはりがついて、いいことだと思うようになった。
 そうやって、季節の移り変わりを「実感」するというか・・
 
 
 一生懸命に瞑想をするひとのなかには、
 自分の誕生日も関係なく、季節の変わり目も関係なく、
 日々を、平坦に過ごしてゆこうとするひとって、多いんです。
 
 
 それも悪くないけど、
 季節の変わり目に、簡単なお祝いをしたり、
 人生の変わり目に、簡単なお祝いをするのも悪くないな・・と、
 ほんとうに、これは、最近になって思うようになった。
 
 たとえば、
 高校野球の甲子園で優勝した・・
 
 そういうときに、
 新聞でバーンと大きく扱われたり、
 家族や知り合いが「おめでとう」とメールや電話で云ってくれたとき、
 ようやく、じわっと実感するんだろう・・と思うのよ。
 
 まわりの祝福ムードがなければ、
 当人たちは、たぶん、あんまり実感がわかないはずで・・
 
 だから、人生の節目や季節の節目で、
 それにみあった「お祝い」をするのが、
 理屈抜きに大切だ・・・と、思う。
 
 大リーグの優勝チームがパレードしたり、
 金メダリストがパレードするってのはあるけど、
 ああいう大がかりなセレモニーだって、
 そうしないと「実感がわかない」のが選手の気持ちだと思うし、
 パレードがニュースになれば、
 ようやく偉業を成し遂げたことを実感する・・
 そういうのが、普通の人間の気持ちなんだろうと思うのです。
 
 けっこう、セレモニーって、大切・・・
 
 だけども、瞑想系の立場からの公式見解で云えば、
 そういう「世俗のざわつきとは無縁」であることも大切なので、
 難しいネ。
 
    ま、
 
 らく〜んさんのように、
 ぼた餅をたべたり、かぼちゃをたべたり、ケーキを買ってきたり、
 
 そのくらいの、軽いお祝いですませていれば、
 瞑想にも影響がないし、
 人生にめりはりもついて、いいのだな・・・と感心してます。
 
 
 
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