巡 礼 者
日本にも巡礼者っているのかな・・・・?
四国八十八カ所とか、
一生懸命に、巡っているひとは巡礼者と呼ばれますけども・・・。
昔のお伊勢参りとか、
一昔前の四国巡礼とかは、
なんとなく巡礼者っぽい雰囲気が残ってたように・・・思うわ。
だから、日本にも巡礼者はいたよな・・みたいな感じはある。
ヨーロッパをみれば、
スペインでも、
ヤコブの教会まで歩いてゆく多くの巡礼者がいますね。
スペインの北西海岸に近い、
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)までの
長い長い巡礼路は、
フランス映画「サンジャックへの道」でも有名で、
日本の熊野古道と並んで世界遺産にもなっています。
巡礼路が世界遺産というのは、珍しい。
インドに行けば、
ここは古代から巡礼の本場ともいえる場所なので、
インド北部のベナレスにも、マツゥーラにも、
いっぱい巡礼路/巡礼者がいます。
わては、あんまり他人様には干渉しないタチなんで、
巡礼者の気持ちはそれぞれだと思うし、
巡礼の目的とかは自由だとも思うし、
あんまり、詮索なんかしないけど、
おらの親戚のおばちゃん。
タクシーに乗って、一週間で八十八カ所所を回ったとか、
しかも、それ三回やった・・・とか、
自信満々でしゃべってるのを聞くと、
なんだろな・・・・と思うのよ。
回数勝負? ・・・なんだべかの・・・
地方テレビ局が深夜にひっそりとやってたローカル番組、
・・大泉洋さんの出世作「水曜どうでしょう」でも、
四国巡礼は、これでもか! ちゅうくらいやってましたけど、
あれは、テレビのバラエティ番組だし、
深夜枠だったこともあって、
一般の人に、巡礼路を映像として見せたという価値があって、
喧嘩したり、ばかばかしさに加えて、貴重だったなあと思ってます。
でも、よく、わかんないので、
四国巡礼を経験した外国人の本を読んでみた。
歩いて、四国巡礼の全部のお寺を巡るという旅行記。
結果、歩いてゆく四国巡礼は、旅行記としても面白かったし、
歩いてゆくという行為そのものも貴重な経験だし、
旅行中の経験とか、
ちょっと感心した。
日本の文化を知ろう・・という真剣な態度が良かった。
みんながみんなじゃないとは思うけど、
おらの親戚のおばちゃんとか、
なんとなく、
死んだ後の「御利益」みたな、そんな感じなんだけど、
「御利益」の巡礼って、なんかなあ・・・と思ってしまうのもホント。
スペインの巡礼は、映画にもなってるけど、
もちろん日本人と同じで、
いろんな事情で、旅に出るけど・・・
俗な意識もあり、非俗な意識もあり、
それが入り乱れて、物語になってゆく。
結局、あれ、
みんながみんな、
目に見えないお方を求めて巡礼してるわけじゃなくって、
現世の御利益、来世の安寧、いろいろ希望して旅をするんだの。
ところが、インドの巡礼者のなかには、
すごいヤツらがいるのね。
いや、まあ、インドの巡礼者も90%は、
現世利益、来世安寧、なんだろうけど、
有名な、五体投地巡礼をみたときは、おどろいただよ。
五体投地っていうのは、
みてると、
直立姿勢から、
腕立て伏せの姿勢になって、
腕の力でグイっと少し前進し、
そこから立ち上がって直立し、
また腕立て伏せの状態になって、
腕の力でグイっと前進して、
目的の寺院とか巡礼地を目指して進む巡礼方法。
これはですね、
インドのマツゥーラ(クリシュナの聖地)の近郊で、
けっこう見ました。
みんな、腕がムッキムキの豪腕になってんの。
レスリングの選手みたいな体型になっとる。
両側に田んぼが広がるのどかなインドの田舎の道を、
たぶん数千年前から同じ風景の道を、
彼らは、
気合いを入れながら前進していました。
こういう巡礼のやりかたは、
おらには、まったくわかんないけど、
「苦労」とか「努力」によって、
精神を集中させつつ目に見えないお方の元に近づく・・・
ということなのだろう・・・と、
そういうふうに思った。
真面目な話、
五体投地巡礼をみたとき、
インドって、おもろい国だなあ・・・
すごいよ・・・と素直に感心した。
巡礼者って、
イスラム教徒を含めると、
実は世界中に、ごっそりいる。
たくさんいるのです。
イスラムの聖地メッカの巡礼者は英雄だしね。
これは、
NHKラジオのスペイン語講座で聞いた話だけど、
スペインの巡礼路は、
日本人もチャレンジしてる人がけっこういるそうで、
時間がない人は列車に乗るし、
自転車の人もいるし、
何をどうするかも自由みたいで、
気ままな旅行感覚でやってるみたいです。
こうなると四国八十八カ所とフィーリングは同じ。
勿論、チャーターのタクシーもあり!
おらの親戚のおばちゃんと、同じなのね・・・。
人間って、
結局のところ、
たいていは、目先の御利益的なモノが好きなのね・・・
と。
いやまあ、
瞑想は、
「現世の御利益」とか「来世安寧」とかを求める気持ちを捨てて、
純粋な気持ちでやるものなんで、
ぜんぜん違うんだけど、
でも、
ごちゃごちゃに思ってる人がいっぱいいるのも事実。
それを悪いと云ってたら、
だれも瞑想なんかしませんよ。
瞑想のことは、学校でも教えてくれないし、
教科書にも書いてないし、
誤解する人がたくさんいて、それも当然だなあ・・と思う。
どうでもいいんだけど、
真面目な話、
人間、
たまには世俗を離れた意識を経験できるように、
誰でも、
少しは瞑想テクニックを覚えた方がいい。
病院で厳しい宣告を受けた後に、
自分の死を意識して、
あせってタクシーで巡礼をしなくてもいいように・・・
人間は誰だって、いつかは肉体の死を迎えるけど、
肉体の死が、ほんとのオシマイなのか・・・
そういう疑問や哲学も、
大学の図書館で腕組みしながら考えなくていいから、
例えば、町中で安いラーメンをすすりながらでも良いから、
少しは、
せめて3秒でいいから、考えてみながら生きてると、
いざというときに困らないと思うんだけど・・・。
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