お 茶
おらは毎朝コーヒーを飲むけど、たまに、お茶(緑茶)も飲む。
疲れて、ほんとにへとへとになったときは、らくさんに懇願して、緑茶をいれてもらう。
前回、はなしの流れで京都の「神護寺」のことを書いたけど、
京都中心部から西北郊外の山地に位置する神護寺のそばに、「高山寺」という古刹があるん。 周囲の空気は、深山の、鎌倉の古刹を彷彿とさせる重々しいどっしりとした雰囲気があるだ・・・。
創建は、
神護寺が809年、
高山寺が1206年
とか云われているので、空海が14年ほど居住なさった神護寺のほうが古いんだけんど、高山寺は「世界遺産」の「鳥獣戯画」で有名なところ。とはいっても、たしか公開されているのはレプリカで、でも、じゅうぶんに味わいが伝わってくるように展示がされてるだよ。
ほんで、高山寺は、じつは日本最古の「お茶畑」があるところで、
んでもって、これは、もんのすごく重要なことだと思ってるだ。
だってね、日本の伝統文化・・・と云ったときに、外国人にアピールするときは「茶道」ってかなり重要な位置だと思うんだけど、
本格的に茶道を学んでいるひと以外は、
なんとなく、バクゼンとしたイメージで考えていて、
ま、そりゃそれでいいんだけど、
なんだか、形式的なことばっかりがイメージ付けされてるから、
ちょびっと、残念だのぅ・・・とおもってる。
いや、おらは、お茶のことなんか何にも知らないし、
正しい茶道の礼儀も知らない・・・けど、
茶道の源流は「禅」と密接な関係があって、
「禅」は、「瞑想=ディアーナ」の漢語訳だから、
瞑想と、お茶は、密接に関係すると知ってれば、
なんのことはない、おらでも、ちょびっとは語れるべ(←震え声)。
おらが高山寺の「茶畑」で注目したのは、
この「茶畑」は、1206年より後に出来た・・・ちゅうことだった。
ここ大切。試験に出る!
つまり、鎌倉幕府が成立した前後の時代、そんときは、お茶の文化はなかったちゅうことで、源頼朝も源義経も弁慶も、「お茶(緑茶;抹茶)」は飲んだことがなかった(←たぶん)。それより前、平安時代に遣唐使がもってきた「お茶」は、現代のウーロン茶的なもんで、ま、それもお茶だけど・・・。
時代が下がって、戦国時代になり、
1591年生まれの千利休(せんのりきゅう)さんの時代に、茶道が、豪商や戦国武将に広まった。当時の富裕層のポピュラーな趣味趣向になったんだの。
おらが、疲れたときに緑茶を飲むのは、緑茶には優れた疲労回復効果があるからで、
現代人よりカフェインに慣れてない当時のひとにとっては、お茶(抹茶)は、健康回復とか、鋭気養成とか、気力充実とか、いろんな意味で実用的な意味をもつシロモノだったと思う。現代で云えば「ユン○ル」「リ○ビタンD」「オロ○ミンC」の数十倍の威力でもって、気力の充実に貢献したと思うのだす。
でも、当時のお茶の収穫高は微少なので、
一部の特権階級的な人々だけが、カフェイン成分の恩恵に浴したわけで・・・
これは、不公平でもなんでもない。
明日は死ぬかもしれない戦国武将にとっては、
英気を養い、気力を充実させることは、自分の命だけでなく、部下の命にもかかわる重要なことなので、
そりゃ、必死になって、ありがたく「茶」を服したと思う。
ほとんど、生きるか死ぬかのときの、生き残るための「薬」です。
生きるか死ぬかの瀬戸際の気分で語り合うとき、
そこに「禅」の思想が入るのは自然の流れだったと思う・・。
徳川家康が馬印に用いた「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」は、「すさんだこの世を離れ、浄土を求める」というような意味だと思うけど、死ぬか生きるか必死のときは、「死んでも浄土に行ける」「そのほうが楽だ」みたいな・・・それがいいのか悪いのか別として、とりあえず、命を捨ててかかる気持ちにならないと、やってけないよな・・・。お茶は、そういう生死感と表裏の関係で生まれたものだと・・・おらは思ってるだ(←キリッ!)。
少なくとも、これをこうやって・・・みたいな手続きや作法的な所作が大切なのではなく、本質は、生死であり、だから一期一会。そのための「もてなし」であり、浮ついたところが微塵もない。
とはいえ、おらは「茶道」のことはよく知らないから、せめて・・・ということで、千利休さんの出生地だけは見に行った。
南海電鉄の堺駅で降りて、歩いて行ってみたのだよ。
小さな敷地に井戸の跡があった。おら的な質素な旅行は、これで満足。写真も撮らない。満足した、
駅に戻る道すがら、「けし餅」で有名なお店(本店)でおみやげを買った。
このお店は300年以上続く和菓子の名店。
この「けし餅」、らく〜んさんの評価は上々で、おらが買ってきたお土産のなかでも最高ランクに入ってます。
現在の「けし餅」につかう「けしの実」は、加熱処理によってアーモンド風味を引き出した健康的な食材ですが、
・・・・むかしむかし、インドから伝来したときは、
戦国武将の戦闘能力を昂揚させる成分を残していたかも・・その方が生死を賭して戦いに出向く戦国武将にとっては有り難いしね・・・
なんて、茶道の先生に怒られるような空想をしてます。
生死の危険をはらむ「ふぐ料理」でも、食通は危険を好む・・・みたいな、あんな感じかな。 ばいばい。
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