あのときわてはあほやった 2-1
いや・・・いまでもあほなんですけど・・・
大人になると、「最近の若いもんは・・」みたいに云う人いるけど、
わての場合、むかしもいまも、安定のあほである・・・と知ってるので、
若い人がどうとか、最近のひとは・・とか、それはまったく思わない。
桂南光師匠のマクラの噺で、
「かなり古い古代の遺跡に落書きがあって・・・、
解読してみると『・・・最近の若いモンは・・・』と書いてあった・・・」っちゅうようなのがあるけど、
人間の知性とか、こころとか、感情とか、そういうのは、100年くらいの間で変わらないとおもってるんで、「最近の若いひとは・・・」というフレーズも、あんまり意味がないなあ・・と思ってます。
だいたいね、わて、銭湯が好きでよく行くけど、ろくでもないな〜と思うことを平気でやるのはたいていジ様で、むちゃくちゃなことを平気でやる。湯船の中にどっぷりとタオルを浸して、それでごしごしと顔と頭を洗って、そんでタオルを湯船で絞る(何回も!)とか、
豪の者は湯船の中で体を洗うとか、後ろにひとがいるのに、立ったままシャワーをタマ○ンに当てて、後ろのひとにタマ○ンを通過させた水をぶっかけるとか・・・こんなんは序の口で、書きたくもくなる行動を平気でやるジ様がいっぱいいるのだな。
ま、そんなことはどうでも良くって、
おらのことで云えば、
学生のころ、友人と酒をのんで、お金がなくなって、
新宿駅の自動販売機の前で、あらっら・・・となって、
・・・む〜〜ん・・・となってさ、
たまたま隣の自販機で電車の切符を買ってた年配の女性に、
「・・え、あの・・すいません・・・(ちょっと事情説明)100円お願いできますか?」と、むちゃくちゃなことを云ったら、あらら・・と云って、ご親切に100円をめぐんでくださった。あれ、いまでも感謝してます。
いま思っても、あれはないよな〜〜・・と思うだよ。
電車に乗る金がないなら、テメエの足で歩けって!!
でもさあ〜・・・
若いときって、そういうデタラメなことってのも、あるよ。
こういうの絶対に良くないけど、
若いときって、常識的な判断もあいまいで、
あとになって「・・・・あわわわわ・・・」って思うけど、
そういう反省も、人間にとっては大事な成長スパイスだと思うぞ。
瞑想をしようと思うひとのなかには、
「聖者は最初からすべて完璧だ・・・」と思ったり(←妄想)、
「・・・自分はダメだ・・」と思い込んだり(←最悪)、
・・・なんか、それは違うぞ・・って思うようなことで苦しんで、
あれやこれや、なんか無駄な悩みをもつひとが多い。
あのさ、聖者が最初から完璧なら、修行なんか必要ないのだよ。
完璧でないから、修行するのだす。
その努力と反省の過程こそ、後輩であるわれわれが見習うべきこと。
仏陀先生は、出家するときに、財産・地位を全部放棄したけど、
そこから修行をスタートさせて、苦労の末に、完成したのです。
誤解されやすいことだけども・・・
完全だからサマージを経験するのではなく、
不完全だから地道に練習して、
その結果として、不十分な練習過程で、初期サマージに入る・・・
そこから地道に積み上げて、だんだん完成に近づく・・・
それでも完成は遠いし、頑張ろうと努力する・・・
そんなフィーリングですよ。
最初から完全なら、だれも修行なんかしないのです。
このあたり、とりちがえてるひと多いから、わかってください。
つづく
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