ベナレス その六
 
 
 
 ベナレスは、インドの聖地として最もポピュラーなので、
 
 日本でもたくさん紹介されてるんだけど、
 
 知ってるひとは知ってるし、
 知らない人は、ぜんぜん知らないし興味もないよね・・・・
 
 
 ま、例えば、テレビの「世界不思議発見」はもちろん、
 岡村隆史さん/東野幸治さんのバラエティー番組「猿旅」、
 作家・沢木耕太郎先生のベストセラー小説「深夜特急」、
 それをドラマ化した「深夜特急」(主演;大沢たかおさん、松嶋菜々子さん)、
 遠藤周作先生の「深い河」
 それを映画化した「深い河」(主演;奥田瑛二さん、秋吉久美子さん)、
 その他、三島由紀夫さん(「豊饒の海」)、横尾忠則さん、長渕剛さんなど、
 たくさんの著名人が訪れていますし、女優の吉永小百合さんのように、ご自身の著作の中で「いつか行ってみたい町」と記しておられるかたもいます。
 
 
 瞑想をしてみようとか、してみたいとか、そうおもっているひとは、なんとなくベナレスに対するあこがれがあると思うんですが、
 そうでないひとにとっても、
 ・・・なんじゃろな・・・? 的な意味、
 ・・・怖いものみたさ・・・? 的な意味で、
 興味をそそる町なんでしょう。
 
 このベナレスっちゅう町は、もともとは「カーシー(光の町)」とか「ワラナアッシー(北のワラナ川と西のアッシー川にはさまれた場所)」とか呼ばれてたんですけど、イギリス統治下のときに「ワラナシ」→「ベナレス」みたいな表記になっちゃった・・・みたいな・・・だから表記がごちゃごちゃで、物知り風のインテリは「ヴァラナシ」というし、おらみたいなアホは「べなれす」という具合に表記してすましてる。んで、そんなことはどーでもええ。
 
 
 なんで、このベナレスが聖地なのかっていう怪しげな理由は、「すわみ亭」のなかでちょこっとしたけんども、紀元前から、この町のガートには有名な「火葬場」があって、
 
 ここで火葬されると、死後は神様のもとに戻れる・・・と深く信じられいて、それが理由でじょじょに町が形成されていったという、歴史的な経緯があるだな。
 
 あのさ、このテーマだけで形而上的な話題が好きなひとは、三日くらい徹夜でしゃべれる、そういうばかばかしさ、怪しさ、真剣さ、おもしろさ、があるのだよ(←「信じる信じないはあなた次第です!」 っていうやつ )。
 
 
 
 むか〜し、NHKスペシャルでベナレス特集したとき、インドを統治したイギリスが、ベナレスの火葬場を「衛生上このましくない」という理由で移転させようとしたときの歴史が語られていただ・・・んで、インド人は反対するけど宗主国のイギリスは「ダメである」と、押し問答になった。何年も経過した。
 
 
 どういう結論になったか、あんたさん、わかるかの?
 
 
 結論はの・・・
 
 町のために火葬場があるのではなく、
 火葬場のために町があるのだ・・・・
 
 これで、すべてが丸くおさまった。
 
 古代からあるガートの火葬場は、そのまま残った。
 
 
 
 このベナレスの歴史は、新約聖書における「安息日論争」と同じです。
 
 
 「ある安息日に、イエス様が麦畑を通って行かれると、
  弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。」
 すると「ファリサイ派の人々がイエス様に、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日 にしてはならないことをするのか」と云った。」
   (中略)
 キリスト先生が云われた・・
 「・・安息日は、人のために定められたものである。人が安息日のためにあるのではない。」   マルコ伝;第2章第23節〜27節。
 
 
 なにが大切で、なにを優先すべきかを考えなさいよ・・・
 本末転倒のはなしはやめよーよ・・・
 という、キリスト先生の言葉は、
 現代を生きるわれわれも、不思議な重みがあるような・・・
 ま、おらは、むずかしい話は、わからんけんども・・・
 
 
 んでさ、この歴史あるベナレスの火葬場ガートは、薪(まき)で死体を焼却して、死体を焼いた灰は、ぜんぶガンジス川に「箒(ほうき)」でサササっと流す。
 あ、そうそう、出家してなかったラヒリ先生も、ここの火葬場で「サササっ」っと・・・なんです。お墓は(たぶん)ない。ぜんぶ「サササっ」で。
 
 ガンジス川の舟に乗って、親切な兄ちゃんに説明をしてもらったとき、
 「でも、本格的な薪(まき)の火葬は値段が高いから、最近はガソリンのボイラーでばばばっとやるのも多い」というから、その「ばばばっ」をみせてよ・・・って、すいぶん川の上流にある新設の火葬場「ばばばっ」をみせてもらった。なんか印象では、銭湯みたいに、煙突が高かった。兄ちゃんが云うには「ばばばっでも、ベナレスで火葬されれば同じだ」っちゅうことなんだけど、ほんとか?
 
 
 いや、あのさ、この「ばばばっ」の近くには、実は、偉大なる女性の聖者、アーナンダ・モイマ先生のお弟子さんが作った僧院がある。モイマ先生も滞在なさっている。おらは、このときは知らなくっての、日本に戻って5年くらい経ってから、モイマ先生の写真集をみて、「・・・あれま〜〜〜」って、おどろいたけど、・・・遅かった。
 
 旅行から戻って、あれこれ調べて「・・そうだったのか」と気づいても、もう手遅れ・・・みたいなんは、誰だっていっぱいあるはず。それ、しょーがないもんな・・・。
 
 
 あ、ヨガナンダ先生の「自叙伝」には、師匠スリ・ユクテスワ先生と出会ったときのエピソードが描かれているけんど、それはの、ベナレスの、ガート(ダシャ)近くにある魚市場、ベンガリトーラ小路を出たところの魚市場なんだ〜よ。ミーハー気質をもってるひとは行ってみて。
 
 
 ほんで、インドを得意がってる日本のバックパッカーのきみ、きみたちは知らんだろうけど、クミコハウスのまわりはね、SRF系の聖者の「聖地」でものすごいんだぞ(←インドかぶれして気取ってるやつには教えちゃらん!)。
 
 
 ま・・さ・・、「聖地」ったって、いろいろあって「水曜どうでしょう」の聖地・・「高台公園」みたいな・・・そんなのもあるし・・・。野球が好きな人の聖地、「嵐」が好きなひとの聖地、にゃんKBが好きな人の聖地、現代は聖地たっていろいろあるし、それでいいと思うだあ〜な。 さよなら。
 
 
 
 
 
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