ベナレス その四
 
 
 
 一回目のベナレスでは、瞑想の偉大なる先人、
 
 ラヒリマハサヤ先生のご自宅(跡)を発見できなくって、
 
 手がかりもつかめなくって、
 
 日本に帰る前に、空港リムジンバスの担当「カムラ君」に
 
 ラヒリ先生の名前のスペルを紙に書いてみせて、
 
おら「この名前、おめさん知ってっか?」
カムラ君「・・知らんけど、たぶん、ガートに近いところだべ」
おら「どのへんだ?」
カムラ君「ダシャ(ダササメートガート)より上流のこのへん」
おら「なんで?」
カムラ君「名前からそう思う」
 
 
 む〜〜〜んんん・・・
 
 こんときは、「名前からそう思う・・」って云われても、
 
 「・・ほんまかいな?」でしたよ。でも、後々になって、
 
 一理あるかも・・と、思いました。
 
 インドって、名前にカースト的な意味とかが詰まってるのか、
 
 名前で、このあたりに住んでるかも・・みたいな、
 
 もちろん、絶対ではないけども、けっこう、
 
 信じていいのかも・・・的な、あやふやだけど、ばかばかしい・・・と切り捨てるよりは、けっこうアテになる・・・みたいな。
 
 
 でも、はい。 結局は、なにも判らないまま帰国。
 
 そして二回目のチャレンジでは、らく〜んさんも同行。
 
 ベナレス名物、明け方の舟に乗ってガンジスの日の出をみたり、
 
 あっちこっちのガートをみてまわったり、
 
 にぎわう商店街を散策したり、
 
 推薦されてる眺めの良いレストランで休憩したり、
 
 ま、そんな普通の観光客として行動してました。
 
 
 ところがね、冬のベナレスって、自動車やオートリキシャの、
 
 排気ガスが街中にこもって、空気、悪いんだす。
 
 そんで、あるときから、おら、げほげほげほげほ・・・っと、
 
 咳がとまらなくなった。
 
 
 これは、日本に戻る前日のはなし。
 ホテル前から乗ったリキシャで咳がひどくなって・・
おら「苦しい。○○○コーラがのみたい」
らく「そこの店で売ってるかも・・」
 っちゅう会話を、ガンジス川に沿った狭い小路の商店街で。
 
 んで、おらはインドでポピュラーなコーラ(約30円)を、
 ぜーぜー云いながら、ごくごくっと、のみ、
   なんとか咳がとまってくんないかな・・・と思っていた。
 
 らくさんは、近くの小さな商店の店先を覗き見ておった。
 
 そのときだ〜な。らくさんが、こっちを見てなんか叫ぶ。
おら「・・なんじゃ?」
らく「ちょっと、ちょっと!!」 手招き。
 
 らくさんは薬局の店先で、薄暗い店の奥を指さした。
 
らく「あれ、あれ、あれ見て」
おら「・・・暗いし遠いし小さくて見えないな〜」
  【参考】 視力 らく=1.5  おら=0.4
らく「ラヒリ先生の写真が飾ってある」
おら「(みえんけど)ほんまか?」
 
 っちゅうことで、これは、大きな手がかりだと直感したわては、
 
 店先の店主に、おちついてインタビューを試みた。
 
おら「あなたはラヒリ・マハサヤを尊敬しているのであるか?」
店主「その通りである」
おら「わてらもラヒリ・マハサヤを尊敬しておるだ。」
店主「日本人が・・? 珍しい」
おら「で、あなたは、ラヒリ先生の家を知っているか?」
店主「もちろんである」
おら「わて、ラヒリ先生の家を探すためベナレスに来たである」
店主「それはいい経験だ」
 
 こうして、わてらはラヒリ先生の家を教えてもらえた。
 
 らくさんが語るところによれば、
 
 おらの咳がひどいので、
 
 咳止めシロップを探そうと薬局の店先をのぞいた・・・
 
 ら、ラヒリ先生の写真をみつけた。
 
 
 かいつまんで云えば、こんな具合なんだけど、
 その薬局では咳止めシロップを買い求め、
 親切な店主とあれこれしゃべり、
 いろいろ教えていただき、
 ラヒリ先生の住所と地図をかいてもらった。
 
 ほんで、リキシャに乗ってラヒリ先生の家に出向いた。
 行くと、近所の人がでてきて、あれこれ教えてくれた。
 ときどき、訪ねてくる旅行者がいるらしい。
 子供にチョコレートをあげたら喜んでくれた。
 ラヒリ先生の家は、ご子孫が継いでそのまま残っていました。
 
 思い返すと、カムラ君の「あてずっぽう」は、
 ちゃんと、当たってました。
 ベナレスからデリー経由で帰国するときに、
 空港リムジンのなかでそれを伝えると、
 かれも喜んでくれた。
 そして、「今度は、日本の香水がいいな」と土産を頼まれた。
 
 その後、空港リムジンは廃止されたそうで、
 だから、それ以来、カムラ君とも会えなくなりました。
 
 
 
 
 
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