朝なのか夜なのか
上級コースを始めよ〜かな〜・・・と思ってたら、
九州の阿蘇/大分で大きな地震が発生して、
たくさんの犠牲者がでて、
これは、えらいこっちゃ・・・・
と思って心配していたら、
ゴールデンウィークに突入し、
これは、上級コースの開始時期としては良くないですね〜
な〜んて、
ぼさ〜っとしてるうちに月日は流れ・・・
ほら、
もうすぐ6月になる!
一年の半分にさしかかってきちゃいましたね・・・
この時期になると、
アホなハナシ、
AKB48の選抜総選挙が始まります。
で、ですね・・・
またもや、
上級コースの開始が遅れている「お詫び」として、
少しだけ、
瞑想に関係することを、しゃべります。
学生の年の始まりは4月、終わりは3月・・
みたいに、
AKBメンバーは総選挙の日が「一年の始まり(新年)」、
であるように、
一年の区切りは、
伝統的にいろいろあって、
絶対にこうである・・・ちゅうのが、ないわけです。
で、
瞑想に関係するというのか、
旧約聖書のハナシをらく〜んさんとしていたときに、
一日の始まりは、
太陽が昇ったときか沈んだときか?
という会話があってですね、
おらは「太陽が昇ったとき」
らくは「太陽が沈んだとき」
という、結果になった。
それで、
Wikipediaの「安息日」の項をみるとですね、
・・・・旧約聖書の「日」は基本的に夕方で区切る。「土曜日」というのは深夜を一日の始まりとする現代の時法でいえば金曜日の日没から土曜日の日没までの間を言う。・・・・
となっていて、
たしかに、旧約聖書に関係が深い、
イスラエルで働いていたひとに尋ねたら、
一日の計算を夕方(日没)から始めるんですよ〜〜・・
と、おっしゃっていたんだけんどもだ、
これもいろいろあって、
どっちが正しいとか、
どっちが間違ってるとかでなくって、
その土地や集団の伝統で考えればよろし・・・
そんな感じだった。
仕事で依頼されたカレンダーの仕組みを考える案件で、
少しだけ理解したところによれば・・・
第一週とか第二週とか、
日常会話で普通につかってるけど、
あれも、
実は、日本国内でも、
地域や伝統で、カウントの仕方が違うのネ・・・
ほんとうに、おどろいただよ。
なんで、こんなハナシをしてるかというと、
要するに、
瞑想の道も、
絶対に正しいとか、
絶対に間違ってるとか、
そういう無益な議論してると、短い人生が終わってしまう・・・
それをわかって欲しかったン。
はやいハナシですね、
最後のレベルまで行くヤツって、
あんまり議論しません。
どっちが正解か判らないときは、
一応、正誤判断を保留(ペンディング)しといて、
どっちもアリ・・の立場で、
じょじょに自分の足場を固めてゆく。
考え方の違いで、
AとBがあれば、
どっちが正しいか判らないときは、
どっちにも軸足を置いといて、
じょじょに自分が正しいと思える側(例えばA)に比重を置き、
そこで、あれこれ考える。
でもですね、
瞑想の場合は、
完全にAが正しいと理解した瞬間に、
Bも同様に正しいことを理解します。
これが他の学問と違うところかな・・・
だから聖者は、他の道を批判しない。
山を登ってるとします。
自分が頂上に着くまでは、他の道はわかりません。
他の道は見えないからね。
だから、普通のひとは、
頂上に登るには、(自分の登っている)この道しかない、
自分が歩いている「この道」こそ正しい・・・と思う。
それは、それで、良いのです。
でも、頂上に到着して、
頂上から見える他の道を眺めてみれば、
あ、あっちの道も良い道だな・・・
なんて、思う。
これが、瞑想の道の宿命です。
で、
これは頂上に達しないとわからない。
頂上の近くまで接近しても、
まだ、ヨソの道は見えないからね。
頂上に達したときに、
はじめて、いろんな登山道が(上から)見える。
そして、自分の狭量を少しだけ反省する。
そんなんでいいと思う。
山を登るときは、
自分の上ってる道が正しい!
そういう自信をもって、
一歩一歩、実力を蓄えてゆくことが大切です。
いずれにしても、
上級コースは、もうすぐ始めるからね。
さいなら。
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