綱
ぼさ〜っとしてたら、
カレンダーは年末になって、
あれれ・・・クリスマス?
そうすると12月26日から商店街は一気に正月ムードに突入で、
あややや・・・これは、マズいぞ・・・
という時期になっちゃいました・・・
正月の準備で、注連縄(しめなわ)・・・
おらの仕事場のご近所さんはドアに注連縄を飾るトコが多いけど、
おらのところは、ささやかに鏡餅と日本酒を飾るだけにしてます。
子供の頃は注連縄(しめなわ)を買ってきて、
あ〜のこ〜のと正月準備をしたけど、
最近は、簡易型・・・の正月でございます・・・
年賀状は、ま、出してます。
おらは神社オタなので、
全国あっちこっちの神社を参詣してるけど、
注連縄(しめなわ)ってのは、あれ、本当に不思議で、
いまだに正体(本当の意味)はわかっていません。
いわゆる、神聖領域を示すシンボルだ・・・
くらいは了解してるし、
だから大相撲の横綱も、
絶対の神聖存在として綱(注連縄)をまとう・・
くらいの知識しかないだよ・・・
日本の神社で最も神聖な注連縄は、
おらの個人見解では、奈良県の桧原神社かのぉ・・・
まことにもってシンプルな、
これぞ注連縄! と、神社ファンをうならせる渋みがあるだな・・・
一切のデコレーションを排した究極美・・・
んで、
大相撲の横綱が締める純白の「綱」・・・
先日、元横綱、北の湖(理事長)が亡くなったけんども・・・
ほんとうに、横綱らしい横綱だった・・・
横綱の「綱」は、とっても重いです。
麻糸製・・と云われますが、実物は絹糸のようにみえるし、
手触りも絹糸のように思えるような作りで、
じつに綺麗で、
10kg超の重みのあるモノです。
まるで、みてきたかのように書いてますけど・・・
実は、
秋田市に元横綱「大鵬関」のギャラリーがあって、
展示されている大鵬関の美しい「綱」をマジマジと観てたら、
係員さんが、「どうぞ持ってみて下さい・・」と云ってくださり、
持ってみたら、その重みに衝撃を受けた経験があるン・・・。
こんな重い物を腰に巻いてからだを動かすのは、
おらには絶対に不可能だ・・・と直感するくらい重かった。
えもいわれぬ重みがズシっとくる・・・
そして真っ白で、実に、美しい。
これが「綱」の重みなのだな・・・・と理解しました。
横綱の地位や立場をシンボライズする神聖な神事品なんです。
おらは、土俵上の横綱北の湖関は一回しかみたことがない。
たしか昭和56年初場所(蔵前国技館)14日目で、
後に横綱になる千代の富士関が関脇だったときデス。
その場所の優勝は千代の富士関で、
北の湖関と14勝1敗同士で優勝決定戦を行った(はず)。
千代関は、その後、あっという間に大関から横綱に昇進した。
引退後は理事長として奮闘した北の湖さんですけど、
古来から云われる神事としての相撲・・・の体現者でした。
近代のスポーツとしての相撲ではなくって・・・
古来からの伝統の相撲・・・
勝てばいい・・・という姿勢ではなく、
堂々とやって負けたら負けたで仕方がない・・という潔さがあった・・
現代の相撲は神事ではないけんど、
神事由来のスポーツ的なものであることは間違いなく、
だから、純粋スポーツのように、体重別の取り組みなんかしないし、
身体がちっちゃいのもでっかいのも、
軽いのも重いのも、
同じ土俵で、ハッケヨイ・・そこに面白みを感じる日本人なので・・・
そもそもの相撲の由来を思い起こせば、
大相撲に関しては、
勝敗競争的な、世知辛いもんじゃなくって、
日本古来の伝統的な興業で、
神様と一緒に楽しんでる・・みたいな、
勝っても負けても、
わーわー騒いで盛り上がる・・・的な、
そんなんでいいと想うなぁ・・・
北の湖関が、結婚なさるチョット前、
東横線の線路に沿った中原街道を(お一人で?)歩いておられたのを、
相撲大好きの友人が目撃して、翌日、興奮しながら語ってくれた。
結婚するお相手の実家に向かって歩いていたそうで・・
訃報に接したときも、そのときの脳内映像(出稽古に行くときのような浴衣スタイルで歩く横綱)が思い出されました。
偉大なる横綱のご冥福をお祈り致します。
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