たった136年
最近インドに行ったときは、停電を経験しなかったけど、
10年前は、
夕方になると、しょっちゅう停電して、
道を歩いてると、
いきなり真っ暗になった。
街灯が消えちゃうのです。
ホテルの部屋にいるときは、部屋が真っ暗になって、
部屋に常備してある蝋燭(ローソク)を使って電気の復旧を待った。
町中の電気が消えるので、
高級ホテルも安宿も一般民家も、みんな真っ暗になったし、
それを楽しむ気分もあったのです・・・
作家の椎名誠先生もご自身の経験を語っておられる(「わしもインドで考えた」)。
で、らく〜んさんが子供の頃、
家の付近に街灯ができた。
それが滅茶苦茶うれしくって、
ずうう〜っと「電気ついた電気ついた・・・」
と、家の前で、歌いながら手を振り上げて踊ってたら(←しつこい)、
電気工事をしてたおっちゃんたちが、すごく喜んでくれたらしい。
いまは、部屋に電気照明があるのは当たり前だし、
街灯があるのも当たり前だけど、
江戸時代とか平安時代とか、
時代劇で見る「むかし」は、電気なんてなかった。
そんなわけで、
室内の照明・・・
あるとき、照明のあれこれに興味をもったことがあって、
ちょこっと調べたことがあるのです。
そもそもは・・・
都立の江戸東京博物館を見学して、
そこにある江戸時代の部屋、
要するに、・・熊さん八っつぁんの長屋の様子をみて、
夜って、どんな感じだったんだろう・・・と思ったわけです。
それだけじゃないのね。
京都の寺院とか、天皇がお住まいになった部屋とか、
広々としたお堂や書院空間をみると、
やっぱり、夜の雰囲気はどうだったのか・・
一生懸命にイメージしても、わからない。
日本だけでなく、
ロンドンの紀元前の住宅を再現した「ロンドン博物館」とか、
ベルサイユ宮殿とかみても、
夜の部屋の雰囲気って、とってもイメージが難しくて、
・・・昔は、どんなんだったのかなあ〜っと、もやもやしてました。
結局、電灯ができる前までは、
皿油灯(ランプ)、行灯(あんどん)、
せいぜい蝋燭(ローソク)をたくさん立てるシャンデリア・・
その程度の照明器具しかないから、
現代の照明に比べれば、めちゃくちゃ暗かったはず・・・
でも、たとえば、真っ暗な部屋にろうそくを一本ともすと、
暗いけど、部屋の中を動くくらいのことは出来るし、
しゃべってる相手の表情は、みえる。
人間って、世界各地で、ずうっとそんな夜をすごしてきたんです。
芝居小屋だの遊郭だの、夜の営業商売では、照明器具は設置個数も多いし規模が大きかったと思うけど、それでも、現代のような、照明の明るさとは違ったはずで・・・
エジソンが白熱電球を発明したのが1879年ですけど、
それでもって、すぐに、家の部屋が明るくなるわけじゃないです。
そのときの白熱電球は1時間の寿命だったとか・・・
たった136年前の話です。
1時間じゃ、実用製品にならないもんね・・・
ですから、
白熱電球を長持ちさせるフィラメントの開発に、
膨大な時間と費用を費やして、
そのあとに、電力を供給する電力会社が必要になって・・
なんやかや、
日本の一般家庭で、部屋に電気を使えるようになったのは、
おおざっぱに云って、大正の初期あたりから(らしい)。
大正元年は、西暦1912年ですから、
電気照明は、およそ100年の歴史しかないのです・・・・
人類の発生から仮に100万年として、
人間は、99万9千9百年の間、
暗い夜を過ごしてきたのです。
「9泊10日の旅」で、ろうそくを使った夜話会・・・
なんて書きましたけど、
人間が、本来備えている五感をとぎすますとき、
夜は暗いものだ・・ということを思い出すといいな・・と思ったのよ。
それと、物語を聞くとき、
電気が煌々とともってる明るい部屋で聞くのと、
薄暗い部屋で話を聞くのとでは、印象が違うでしょ。
恋人同士の語らいには、ろうそくとかランプとかが似合うよ。
地方の高級旅館で、テレビも電話も時計もない・・・
というところがあって、かなり人気らしいけど、
まるっきり何もない・・・という生活を数日でもすれば、
人間本来の、五感は、かなり回復する(らしい)・・・
でもそれだって数日が限度で、
いつまでも・・・っちゅうわけには、いかないよ。
たまに豪華な食事をして楽しむのと同じで、
たまに、五感をとぎすます時間をすごしてみる・・・
そんな感じかな。
登山をするひとは、
人里離れた深い山に入れば、すべてが原始の自然に戻るので、
かれらは、五感リセットの達人だと思ってます。
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