ペンキ絵
 
 
 
 
 夢判断とか、
 
 いろんな理屈でもって、
 夢を分析するやり方あるけど、
 
 本当かな・・・?
 
 
 おらの場合は、そういうのは全く信用しない。
 そりゃあ、部分的には納得することもあるけんども・・・。
 
 
 有名な学説だって、
 一理あるようにみえてコジツケっぽいな・・・と思うこともあるし、
 
 そもそも、おらの場合は、
 自分の夢の場合は、ほとんどが説明つくからね・・・
 
 
 これねえ・・・
 ほとんど、くだらない理由なんだね・・・おらの夢の場合・・・
 
 
 
 ・・・そんなね、
 
 対人関係が・・とか、
 性的抑圧が・・とか、
 ムズカしいもんじゃなくって、
 99.8%は、
 前日または2〜3日前にみた、さまざまな風景−−テレビも含む−−からエッセンスが抽出されて、組み合わされて、物語風の夢になる。
 
 
 バラエティ番組や野球中継でみたり聞いたりした映像/音声の記憶、
 デパートの食品街でみた餃子の記憶、
 道を歩いてるときにみた太ったおばちゃんの記憶、
 コンビニでおにぎりを買ったときのレジでの精算時の記憶、
 ・・・そういう日常的な雑多な記憶が、
 ぽつりぽつり・・・断片が複合的に組み合わさって、
 ストーリーがあるようなないような、ぼわんとした夢になる。
 
 
 これに気づいてから、何回か記憶をたどってみれば、
 ほとんど、
 3日以内に経験した雑多な記憶に基づて夢をみてることが判ります。
 もちろん、ひとによっては、苦しい気持ちに基づく夢もあると思うし、
 性的欲求に起因する夢もあるかもしれないけど、
 
 
 少なくとも、瞑想してる人間にとっての夢は、
 ほとんどが、経験記憶の精算にすぎないと思います。
 コンピュータで云えば、データの無駄な隙間を解消するデフラグ的な、
 まことにもって意味の少ないものだと思います。
 
 これですね、
 「夢によって、あなたの人生がわかります!」というような占い的なビジネスを始めるひとがいても、それは、しょうがないと思うよ。
 だって、たぶん、そのひとはそう信じてるのだし、
 それを信じる人も、同類だと思うから、
 他人があーのこーの云うことは出来ません。
 
 でも、みなさんも、自分の夢を記録して、
 その前日の記憶と照らし合わせてみれば、ほとんどが説明できることに気づきますよ。
 
 
 未来予知的な夢とか、
 運勢判断的な夢とか、
 ・・・きちんと瞑想する人は、あんまりそういう具合に、夢を特別視したり重要だと思いこんだりしない方が賢明だと思います。
 
 
 とはいえ、
 夢の中には、特別に印象にのこるのがあって、
 おらの場合で云えば、
 
 きれいな海岸線の上空を自分が飛んでいて、進行方向に富士山がみえた・・・という、まことにもって、むかしの、銭湯のペンキ絵のような夢をみたことがあるんだけど、
 
 そのときはまだ、
 数日前の記憶と夢の関係・・・なんて気づいてなかったから、
 ・・・あの夢はなんだろうな、と、ずっと思い返していた。
 映像的には、ほんとうに綺麗だったのです。
 
 
 地図を見ると、
 夢でみた飛翔ルートは、静岡の安倍川あたりから北上して、
 三保松原の上を通ってゆくような感じ・・・
 
 
 で、
 すぐにばかは、そこの風景を見に行くのです。
 静岡まで新幹線に乗って、
 バスで久能山に登る。
 
 静岡は、安倍川だの丸子だの金谷だの、
 東海道五十三次の探索で何回か歩いていたので、
 まったく知らない土地ではなかったけど、
 久能山は初めてだったので、わくわくしましたよ。
 
 
 でね、
 実際に行ってみればです、
 海底隆起と海の浸食によって形成された、ものすごい風景で(写真1)
 絶景なんですけども、
 なんか、そのときは(?)富士山がみえなかった・・・
 あれれ・・・と思いながら、
 ちょうどやっていた、お祭り(写真2)を見物して、
 徳川家康の廟所(久能山東照宮)(写真3)にお参りして、帰ってきた。
 
 
 夢でみた飛翔ルートを確認できたわけでもなく、
 ただ静岡の神社に行ってきました・・みたいになったけど、
 フィールドワークなんてそんなもんだ・・・なのです。
 
 
 夢の風景で云えば、もうひとつ。
 
 鉄道線路が、海の中に浅く入っていって、
 鉄道が、海の中に入っていくっていう夢。
 
 これは、伊勢(三重)から渥美半島(愛知)にわたる、とか、
 観音崎(横須賀)から房総(千葉)にわたるとか、
 日本武尊(ヤマトタケル)の移動ルートのフィールドワークをしてたときにみた夢だった・・・と思う。
 
 
 そのあと、
 アニメ「千と千尋の神隠し」(スタジオジブリ)の中で、夢で見たような風景が出てきたので、
 あれれ・・・とっても驚いただよ。
 
 海の向こう側にある世界、
 川の向こう側にある世界、
 つまり「彼岸(ひがん)」は、
 なんか、アジア的な憧れの土地・・?
 
 
 でもまあ、十分に瞑想を積めば、
 夢の多くが、気に病むようなものではなく、
 ものすごく単純な、脳のデフラグ処理的なものだと気づくでしょう。
 
 そして、
 日常生活で、みたまんまが夢になっていることを理解するにつれ、
 瞑想の深度も深くなり、
 自分が前進していることを実感すると思います。
 
 
 
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