瞑想の開始のころ
 
 
 
 瞑想をする動機って云うのはひとそれぞれですけど、
 
 わたしなんぞは、父親(ファットさん)がヨガ教室やってたもんで、子供のころから耳学問で初心者的なことは知ってました。
 
 でも、そんなものは何の役にもたたないのは当たり前でしてね、
 
 大学生になって一人暮らしを始めたころ、
 
 なんせヒマなんで、瞑想のマネごとしてみました。
 
 
 どうやっていいのかもわからないけど、座禅みたいな感じでね。
 
 その結果、こりゃ無理だな・・・・
 
 ということだけは、理解しました。
 
 真剣みもないし、すぐ眠くなるし、雑念ばかりだしね。
 
 
 それから、10年くらいは瞑想をやってみようとも思いませんでした。
 
 大学を卒業し、就職し、仕事仲間の同僚や学生時代の友人とあっちこっちに出かけてお酒を飲んだり、わははははっとばかっぱなしをして、普通のサラリーマン生活をエンジョイしておりました。新橋駅前の正しいヨッパライでしたよ。
 
 サラリーマンを辞して、自分で仕事をはじめてからは、おかげさまで年に何度も海外や国内旅行ができるようになったのですが、瞑想に関係する旅行として忘れられないのは、ロンドンでした。
 
 それ以前にも、旅行先のホテルでは瞑想のまねごとは少しずつはしてたんです。
 
 海外だと夜の外出は危険もあるし、ヒマなので、違った環境で瞑想したらどうなるんだろう・・・という単純な理由で。
 
 でも学生時代とおなじで、反応もないし、つまんないなあ〜と、虚しく終了するばかりでした。
 
 
 で、ロンドンでの瞑想(のまねごと)なんですけど、これがすごく良かったんです・・・。どんどん意識が深くなるような・・・・。
 
 でも、すぐに何かが起きるわけでもなく、滞在期間中は、昼間はあっちこっちと観光して、楽しみました。
 
 
 
 あ、そうそう、ロンドンにはいっぱい教会があるんですけど、
 
 旅行中なので、有名な教会にはぜんぶ行くわけです。
 
 するとです、英国王室とゆかりのあるウェストミンスター寺院に「チャペル」があって、小さな小部屋なんですけど、だれもいなかったので部屋に入って瞑想を始めました。イエス・キリスト様にご挨拶・・・という程度の軽い気持ちで始めたんですけども、すごく落ち着いてきて、室内の霊的波動が重厚で、ぐぐっと感動してしまいました。長い歴史のある教会ですけど、そんなことも忘れて15分ほど、そこで感動の時間を過ごしました。
 
 この経験があったので、日本に戻ってから、自分の仕事場で少しずつ瞑想(のまねごと)を継続してやるようになりました。
 
 瞑想はインドの専売特許ではなく、古い時代は中東でも広く行われていたと思われます。イスラエルに生まれたキリスト先生も中東の人なんですよ。ヨーロッパのひとではないんです。
 
 あ、そうそう、イスラエルに行きますとですね、イケメン好きな女性がほにょにょ〜〜んとなるような男前が、ごろっごろいるんです。地中海の沿岸地域は、他民族間の混血が進むのか・・・理由は不明ですが、美男、美女が、ほんとに多いのでした。たとえば、路線バスの運転手さんの美形具合に、おおおおおおお〜っとなる女性も多いとか、そんな具合。
 
 美男をイメージするとき、ギリシャ彫刻とかダビデ像とか、全世界の女性がそういう単語を使いますけど、ほんとね、すごい。キリスト先生も、ほれぼれするような美形であったんだろう・・と・・・もう、こうなるとただのばかっぱなし。
 
 
 
 
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