スワミ ヴィベーカナンダ
 
 
 ヴィベーカナンダ先生はインドの誇りである。
 英国の植民地となったインドは、長い歴史をもつ民族の誇りを奪われていた。それを奇跡的に回復させたのが彼である。透明で明晰な頭脳は、欧米の学者が束(たば)になってもかなわないと云われた。
 
 ラーマクリシュナの弟子でありながら、経済的困窮から師匠の生存中はあまり熱心に瞑想に打ち込むことができず、師匠の没後になって鬼神のように世界的な活躍を開始した。彼の霊格序列が非常に高いという理由で、師匠ラーマクリシュナは、生前、いつもヴィベーカナンダを特別扱いした。
 1863年1月12日生まれ、1902年7月4日マハサマージ。
 
 師匠ラーマクリシュナの没後は、師匠の内輪の弟子たちとともにラーマクリシュナミッションの基礎を作り、みんな貧乏だったが瞑想の探求修練のため、三々五々インド全域に散らばって食うや食わずの中で研鑽を積む。
 
 師匠の没後7年を経過した1893年、アメリカで開催される世界宗教会議でスピーチする大志をもって渡米。渡米の際は、経由地である日本(長崎)に上陸して横浜までの各地を旅した。日本の仏教文化に祖国インドの影響を発見して感銘を受けている。
 
 シカゴに到着したものの、所持金もなくなり、世界宗教会議でスピーチするには正式な招待状が必要であることを知り−−そんなものは持ってない−−、がっかりして住宅街のゴミ箱のよこで眠ってしまった。
 
 よく朝、彼が路上で眠っているのを見つけた近所の親切なアメリカ人女性が、家でご飯を食べさせてくれたうえに、事情を聞いてくれた。ヴィベーカナンダの知性と人間的な魅力を感じとったアメリカ人女性は、知り合いである世界宗教会議の主催者の一人に連絡を取り、トントン拍子で世界宗教会議への出席と講演が許可された。
 
 1893年9月、シカゴで開催された世界宗教会議におけるヴィベーカナンダ先生の感動的な講演は、会場の聴衆を驚愕させた。その様子は直ちにインドにも報道され、一夜にしてヴィベーカナンダ先生はインドの英雄となった。この後、欧米はヴィベーカナンダという驚異の知性を通してインドを理解するようになった。その後、マハトマガンジーが登場し、インドを独立へと導く。
 
 
 
写真館の目次へ戻る
フロントページへ戻る