瞑 想 と は
 
 
 
    できるだけ頑張って正確に云えば、
 
    瞑想とは「意識を純化して根源意識に結合する意識操作」
 
 です。
 
 
          でも
 
 
   わかりにくいですね。
 
 
 簡単に云えば、
 瞑想とは「本来の自分に戻るための意識と身体の訓練」です。
 
 
 割り切って云えば、瞑想とは「禅」なのです。
 
「禅」は、インドの古代言語サンスクリットの「ディヤーナ」=「瞑想」が中国で音写されて発音が変化したものです。
 
 これでは何の説明にもなりませんが、日本人の多くは「禅」は知っているでしょうから、イメージはしやすいでしょう。
 
 「禅」の修行法に「座禅」がありますが、おおむね、ああいうのが瞑想です。
 
 
 初心レベルではこのくらいの理解でよろしい。
 「座禅と禅はどう違うんだ?」「座禅とヨガの瞑想はどう違うのだ?」と疑問をもつひとは、ウィキペディアなどで調べてみましょう。
 
 
 瞑想は、よく精神集中と云われますが、ちょっと違います。
 
 
 最初は、どうしても精神集中が必要なので、精神修行的なものに思われがちですが、慣れれば、精神集中は殆ど関係なくなります。
 
 自転車に乗るのだって最初は必死ですが、慣れれば何も考えずに乗れますでしょ。車の運転も、水泳も、最初は意識を集中させて頑張らないとうまくできませんが、いつまでも初心者のように精神集中なんかしません。
 
 瞑想も、慣れてくれば精神集中しようなんて考えなくてもうまくいくようになります。精神集中より、もっと大切なことがいっぱいあります。
 
 
 かといって、
 
     リラックスともちがいます。
 
 初級段階ではリラックスが大切ですが、中級〜上級になれば、瞑想意識と身体に生じる強烈なエネルギー反応に耐える練習期間もあり、F1レーサーやジェット戦闘機のパイロットの訓練と同じように、瞑想意識を維持するのに必死になってリラックスなんかしてられない状況も経験します。この期間はスリリングで、体育会系のような雰囲気を味わいます。
 
 
 瞑想は世界中に、頑張っている同胞がいっぱいいます。
 
 アメリカ、ヨーロッパでは日本よりずっと盛んです。
 
 日本人は高等教育を受けているし、一生懸命働くし、困難に立ち向かう根性もあるし、創意工夫をする姿勢も一流だし、優秀ですばらしい面はいっぱいありますけど、世界に通用するスピリチュアル面の訓練がされてないので、なんとなく薄っぺらな存在であるなあ・・・という感じがあります。
 
 われわれ日本人も薄々そうかな〜とは感じていますけど、ヨーロッパの人々、アメリカ人、アジア諸国の人々も、そういう具合に日本人をみているような感じが、なんとな〜くするわけです。とくに近年は、国際会議でも発言や人格の雰囲気が薄っぺらで、存在の希薄さが際だちます。本当はそうじゃないのに、そう見えてしまうのは残念です。
 
     誤解されやすいことですが
 
 
     瞑想と宗教は関係ありません。
 
 
 目に見えない存在を信じる信じないも関係がありません。
 
 
 瞑想を通して、
 
    自分自身の意識の根源を知る・・・
 
 そのようになれたら幸いです。
 
 
 謙虚で素直な気持ちで自分の意識に尊敬の念もてるようになれば、自分自身をもっと信じることができるでしょう。
 
 それが、人間として、本当の貴重な財産となります。
 
 
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