永遠の命
みなさんは、
永遠の命
という言葉を聞いたことがあると思います。
これは、ま、キリスト先生がおっしゃたのが有名で、
.Verily, verily, I say unto you,
He that heareth my word,
and believeth on him that sent me,
hath everlasting life,
よくよくあなたがたに言っておきます。
わたしの言葉を聞いて、
わたしをつかわされた”かれ”を信じる者は、
永遠の命を受けます。 (ヨハネ福音書5章24節)
これについては、そ〜だな〜〜〜と、
ハナタレ坊主みたいに涙目になったバカ目でうなずくしかないのですが、これについて、考えましょう。
キリスト先生は単純に、「わたしをつかわされた”かれ”を信じる者は」「永遠の命を受けます」と述べられました。
ラーマクリシュナ先生も同じように説明なさいます(「福音全巻」)。
ヨガナンダ先生は「自叙伝」の中で、ラーマクリシュナ先生を「キリストの如き聖者」と表現されますが、まったくその通りです。
じゃあああああ、信じてなかったら永遠の命はないのか?
ん?
めんどうですね、こいつ。
キリスト先生がおっしゃる「永遠の命」は、ニルビカルパ・サマージの最上部で経験する、キリスト意識のことを意味します。
で、
それに達するには「わたしをつかわされた”かれ”を信じる」のが良いのだよ、とおっしゃるのです。その通りでしょう。
一方、やかましく騒ぐ”めんどうなやつ”は、人間の「命」「生命」のことを、ど〜なってんだ、と云うわけでしょう。
混同しやすいところなので考えますけど、”めんどうなやつ”が云う「命」のことであれば、
それは、
聖典にも書いてあるように、誰だって、永遠ですよ。
輪廻転生図1をみてください。
輪廻転生図1の表示(←クリック!)
オレンジ色で示した半円が、われわれが生きている地上世界の人生、
薄いグリーン系で示した円弧が、死んだ後の幽界の人生です。
人間は、誰だって地上世界の人生を終えれば幽界の人生を過ごし、幽界の人生を終えれば地上世界の人生に戻って、これを無念に繰り返していく、
と、
聖典は、説明します。
つまり、輪廻転生。
人間の「命」は永遠である、と。
輪廻転生については、仏教でも「袖すり合うも多生(他生)の縁」と云うように、アジアで広く普及した考えです。「多生」「他生」は今回の人生ではない前世の人生を意味します。
ヨガナンダ先生も「自叙伝」のなかで、輪廻転生についての豊富な説明を行っています。例えば、「カシの生まれ変わりと再発見」(28章)、子鹿が死んだときのエピソード(27章)、スリ・ユクテスワの復活(43章)など。
地上世界の人生の長さ(T1)は60〜100年ほど、幽界の人生の長さ(T2)は1000〜1200年ほど、と云われます。人間は誰でもこれを繰り返して、少しずつ進歩してゆくわけです。
一方、キリスト先生のおっしゃる永遠の命は、こういうダラダラした生活を続ける命のことではなく、目に見えないお方と一体になったシャキっとした命のことです。命という点では同じですが、ちょっと違います。これは、みなさんがニルビカルパ・サマージを通して経験してゆくしかありません。
実際、キリスト意識に入るまでは、瞑想上級者といえども「永遠の命」をもったとは思わないのです。
だからこそ、ニルビカルパ・サマージに達したことは喜ぶべきこととしても、なんとかこのレベルを順調に進んで、ニルビカルパの上位レベル(キリスト意識)に行けるように頑張っていただきたいわけです。
いつまでたっても「わたし」の説明が出来ませんが、「わたし」を深く理解するには、あれやこれや、ちゃんと理解しておくべきことが多いので、がっちりと周辺の理解を進めてゆきましょう。