身体のスピリチュアライズ
 
 
身体のスピリチュアライズ
 
 
 ウンマナ・サマージからサビカルパ・サマージに移行するには、瞑想意識に対する身体感覚の妨害を排除してゆくことが大切です。
 
 これはもう、
 
 みなさんも十分にわかるでしょう。
 
 瞑想中に、暑いなあ〜とか、寒いなあ〜とか、背中が痛いなあ〜、とか思ってると、瞑想深度を深くしてゆくことは厳しいデス。
 
 身体感覚は、人間が生きていく上では絶対に必要なものですが、瞑想意識を純化させようとするときには、これほど邪魔くさいものもない。
 
 「からだのことは忘れよう」としたって、現実には身体感覚があるので、瞑想意識は常に身体意識によってかき乱されます。
 
 
 そこでです、
 
 瞑想実習者は、身体感覚の干渉を少なくするために身体をスピリチュアライズしてゆきます。
 
 
 サビカルパ・サマージの段階では、身体感覚は残っていますけれども、できるだけ、
 
    出来るだけ、ですよ
 
 身体感覚を少なくしてゆくよう努めましょう。
 
 
 じゃあああ、どうすれば良いか。
 
 考えてみましょう。
 
 
 みなさんは、身体を構成する物質粒子について、学習しました。
 
 身体を構成する物質粒子は、表面コーティングが物質コーシャだというだけで、内部の構造は、精神粒子とまったく同じです。
 
 粒子の内部におさまっているコーシャは、表面に露出しているコーシャに較べれば反応は鈍いですけど、存在するからには、かすかにではあるけれども、反応させることが出来ます。
 
 日本人であるわれわれは、むかしから、どんなもの(物質)にも魂があるとか、草や花にも生命や意識がある、と教えられてきました。
 
 実際、優れた技術者や職人ほど、自分が扱う道具や装置を大切にして、ときには語りかけるようなことをします。
 
 これは、超一流の技術者、職人、アスリート−−−−命がけで真剣に自分の職務に励むひとたち−−−−が、本能的になんとなくそういうことを身につけてゆくからです。
 
 そして、かれらの姿勢は、正しい。
 
 
 
 物質を構成する粒子を思い出してください。
 
 その内部には、感覚意識、理性コーシャ、チッタ・コーシャが存在しています。
 
 そして、その中心核には、個別化されたスピリット(魂)が内在します。
 
 
 われわれの身体は、物質粒子が集合して出来ていますが、どの粒子も、その内部には理性の層も、こころ(チッタ)の層もあるので、あなたが、瞑想意識の中で、おだやかに語りかければ、粒子は、あなたの意識に同調できるのです。
 
 
 そんなああ〜〜〜、と思う、あなた!
 
 これを、素直に信じられない、そこのあなた!
 
 
 ヨガナンダ先生の「自叙伝」第8章−−偉大な科学者ジャガディス・チャンドラ・ボーズ−−−を読み直しましょう。
 
 物質にも、意識があることが述べられています。
 
 それでも足りないなら、
 
 「自叙伝」第38章−−−ルーサー・バーバング−−−−を、真剣に読み直しましょう。
 
 草や花にも立派な意識があることが説明されています。
 
 
 ヨガナンダ先生の「自叙伝」は、思いつきで書かれたものではなく、周到に計画されて、真理を説いています。
 
 わからないひと−−−真理の探求に鈍感なひと−−−には判らなくてもいい、という作りなので、ジャガディス・チャンドラ・ボーズ先生や、ルーサー・バーバング先生(アメリカの聖者)の章の意味を、深く考えなかったひとも多いでしょう。
 
 
 でも、ちゃんと意味があるんです。
 
 これらの章によって、ヨガナンダ先生は、自分の師匠であるスリ・ユクテスワ先生の「聖なる科学」に書かれている粒子の説明が、真理であること証明しておられるのです。
 
 
 「自叙伝」のタイトル表紙には、こう書かれています。
 
 ”Except ye see signs and wonders, ye will not believe. ”
   あなたがたは、
   しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう
                 −−ヨハネ福音書4章48節−−
 
 
 これはイエス・キリスト先生の言葉ですけど、これほど強烈な「イヤミ」はないと思っています。
 
 この言葉の真意を、西部劇の荒くれ者風に云い替えれば、
 −−おめーら、くずで、ぼん暗で、どん感で、どーにもならんから、ちょっとだけ示しちゃる−−
 
    厳しい指導の意志をもった言葉なんですよ、これ。
 
 
 人間は、本来、無条件で目に見えないお方を信じる潜在能力を付与されているのに、「しるしと奇跡」をみないと信じられないのは、鈍感だ!
 
 そんなふうに、怒られている感じがするのデス。
 
 
 われわれ人間の意識の実体の最奥部には、目に見えないお方と等質のスピリット(魂)が内在しています。
 
 自分たち自身が、本当は、目に見えないお方と等質の意識をもっているのに、目に見えないお方を別物として考えるのは、おかしいよ、
 
 と、聖典も聖者も教えるのです。
 
 
 ま、こんなことを云ってると、いつまでたっても前に進まないので、この項では、身体は自分の瞑想意識でスピリチュアライズできそうだ、
 
 と、そういうことだけ理解してくれればヨシとします。
 
 
 
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