無呼吸
 
 
 ヨガナンダ先生の「自叙伝」を読みますと、無呼吸が大切だ、無呼吸こそ解脱への鍵だ、ということが書かれていますので、みなさんに限らず誰だって、そうなのか・・・・と思うと同時に、そういう状態になるテクニックを学ばなければ解脱できないと信じるようになります。
 
 ヨガナンダ先生の「自叙伝」は無呼吸のことばかり書いているわけではありませんが、かなり強調されていることはたしかです。
 
 こうして、「自叙伝」を読んだ真面目なひとの多くは、瞑想中の無呼吸にあこがれるようになります。
 
 ヨガナンダ先生にゆかりのあるロサンゼルスのビルトモア・ホテルの夏の時期は、熱心なSRFの学生が世界中から集まって瞑想セミナーをやるのでたいへん混雑します。みなさん、ビルトモア・ホテルの内部に足を踏み入れただけで感動していらっしゃいます。
 
 このビルトモア・ホテルは、ヨガナンダ先生が初めてロサンゼルスにやって来たときに宿泊した思い出の場所でもあり、人生の最後をそこで迎えたいという強い希望があったように思えます。いいホテルですが、古いので、泊まる部屋によっては快適とは云えないときもあります。わたしは6〜7泊ずつ、2回、宿泊する機会をもちました。
 
 2回とも、部屋を交換してもらいました。空調機の音がうるさかったり、坂道の道路に面した北側の部屋は大型トラックが轟音をたて坂道を登るので、やかましいのデス。瞑想なんかできません。
 
 そんなことはどうでもいいのですヨ。
 
 
        さて、無呼吸です。
 
 ヨガナンダ先生は偉大な聖者ですし、「自叙伝」のおかげで世界中に瞑想をする実習生が生まれたのは大きな功績ですけども、「無呼吸」という言葉が勝手に一人歩きしてしまったのは残念です。
 
 30分以上の無呼吸にならないと一人前じゃないとか、最低でも1時間は呼吸が止まってないと解脱は不可能だとか、そういう具合に考えるひとさえいます。自分で思い込むだけなら人畜無害ですが、そうやって他人に教える人間が出てくると、これはモー、ほとんど犯罪です。
 
 呼吸は、人間の身体を維持するのに絶対に必要です。
 
 ただ瞑想中は、とくにサマージに入ると、不思議なことに止まるのです。
 
 最初は、あれ? と思うのですが、そのうち、そんなことも気にならなくなって、しまいには呼吸なんかしてようがしていまいが、まったく気にならなくなります。
 
 無呼吸は、英語では「breathless」とか「breathlessness」とか云います。インターネットの英語辞書をみれば書いてあります、こんなことは。
 
 こういう英語辞書で「breathless」の用例をみると、例えば、
 
 「He was breathless with terror.」
       かれは怖ろしくて息もつけなかった。
 というような用例が出てきますでしょ?
 
 怖ろしいとき、ハっとして息が止まる状態、それも「breathless」=無呼吸という表現をすることを、まずもって知りましょうね。
 
 
 そうでないと、30分以上無呼吸でないと一人前じゃないとか言い始める人間に簡単にダマされますからね。
 
 瞑想中に、日常生活の呼吸よりも長い間合いで呼吸するようになったら、もう呼吸のことなんか意識しなくてよいのです。
 
 そんなことは簡単にできる、という人もいるでしょう。
 
 では、そういう人にお訊きしますが、なぜ、そんなに簡単にできることを、ヨガナンダ先生は「自叙伝」で強調なさったのでしょう?
 
 これに答えることが出来ますか?
 
 
 呼吸の間合いが長くなったらOKだ、という単純なことではないのです。
 
 無呼吸が、瞑想の「鍵」であると云われる理由は、長く息が止まるとか、呼吸の間合いが長くなるとかいう「現象」の問題ではなく、その「現象」を引き起こす「意識の変化」が大事だからこそ、大切なテーマとなるのです。
 
 
 呼吸が一時停止するようなことは、大食いを自慢する太ったオッサンでも日常的に簡単にできることなのですが、彼の無呼吸は、意識の変化ではなく体型の変化で引き起こされてるわけですヨ。
 
 瞑想における無呼吸のテーマは、本当は簡単なんです。でも、みなさんにきちんと理解してもらいたいと思うので、あれやこれやの説明−−くどい説明−−は、次のレベルで行います。
 
 
     考えてください。
 
 これほど大切で面白いテーマはないし、これを自分なりに考えて乗り越えたら、瞑想のジャングルでケモノ道に迷い込む危険も確実に少なくなります。
 
 瞑想のジャングルは、分岐点と獣道の宝庫です。
 
 道に迷わないようにするには、疑って、考えて、実力を身につけて、応用力を高めるしかないのです。
 
 ひとに教えられるままにやってたら、自分で考える力のない操り人形になってしまいます。そんな人間は、ちょっとは進歩しても、高度のサマージには入れません。料理でも、水泳でも、サッカーでも、頑張って、自分で考える力を養ったひとだけが一流になっていくのです。
 
 
 
レベル1の目次へ戻る