回 答 例 25
 
 
問題 25
 「瞑想するときは香を焚くのがよい」という考え方があります。これについてあなたの考えを述べなさい。
 
 
 
 
 
 
【回答例 25】
 
 これも、もう、みなさんは、わかるでしょ?
 
 瞑想は、五感を排除して純粋意識に戻る操作です。
 
 お香は、嗅覚を刺激して、瞑想意識に作用します。
 
 瞑想に慣れていないときは、その方が「心がおちつく」と思うかもしれませんが、そんなことをやってると、瞑想が「心をおちつかせる行為」になってしまいます。
 
 瞑想は、心をおちつかせる行為ではなく、心も、不確かなものだということを認識する行為です。
 
 ふたしかな「心」を最上位の精神作用であると思っている限り、瞑想意識が高位の意識と融合することは出来ません。
 
 南インドの偉大な聖者ラーマナ・マハリシ先生は、
 「心によって心を発見することは絶対にできない。心は存在しないということを発見するために、心を超えて(鍛えて)すすみなさい」と教えられました(「沈黙の聖者」;出帆新社)。
 
 
     その通りです。
 
 
 ラーマナ・マハリシ先生のことは、ヨガナンダ先生の「自叙伝」第41章で記録されています。
 
 日本の寺院、インドの寺院、ヨーロッパの寺院で、お香が焚かれたのには、きちんとした理由があります。
 
 大勢の巡礼者がやってくる寺院では、長期間風呂に入っていない巡礼者が寝泊まりすることがあって、聖堂内に悪臭が立ちこめたわけです。良い香りのするお香を焚けば、聖堂内の神聖さを維持できるので、それでお香を使った。
 
 現代では、その必要も少なくなったけど、多くの寺院では伝統を守っているので、なんか形而上の意味があるように思う人がいるかもしれませんが、あまり深く考えなくても良いでしょう。
 
 瞑想ではなく、多くの人が集まる聖堂でお香を焚くことは良いことです。お香には精神作用を安定させる効果があるので、参集した人々が心おだやかに過ごす効果は大きいからです。ニンニクくさい息を吐く人もいるし、靴下が強烈なひともいるし、人が集まると、けっこう臭いの問題は深刻になります。
 
 でも自分一人で行う瞑想のときにお香を焚くのは、あまり意味がありません。
 
 お香に形而上の意味をもたせるひともいますが、それも、みんさんの判断で好きずきにしてください。
 
 
 
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