回 答 例 24
 
 
問題 24
 「瞑想中の内的ヴィジョンは神聖であるから大切にすべきである」という考え方があります。これについてあなたの考えを述べなさい。
 
 
 
 
 
【回答例 24】
 
 これは、すでに問題22、問題23で考えたことですので、みなさんも、かなりわかっていると思います。
 
 でも、せっかくなので、もうすこし説明しておきます。
 
 瞑想のときは、目を閉じ、静寂の中で、五感の影響を排除します。
 
 何故かと云えば、五感の作用があるかぎり、人間の意識は五感作用に引きずり回されて、あれこれ忙しく考えたり、思い出したりして、決して安定した状態にならないからです。
 
 夢のように美しい風景の中で、静かにすわっているとき、人間は精神的な安らぎを得ます。しかし、目や、耳や、皮膚を通して受ける五感データが休むことなく意識に伝達されているので、精神的な安らぎはあっても、同じ場所に一時間、二時間、三時間と座っていることは難しい。飽きますよね?
 
 あるとき、東京在住の方が「どうしても流氷を見たい!」と思って、羽田空港から飛行機に乗り、オホーツク紋別空港に降り立ち、流氷を見に行きました。すごい! と感動したのですが、5分もしないうちに飽きた。海が流氷で白いだけなんだもの。
 
 五感を通した意識の経験は、スポーツや映画のように動きがある場合や、音楽や漫才や落語のように、動きはなくても意識を変転させてくれる場合は面白いのですが、それだって、同じ内容が毎日連続すると飽きてしまいます。
 
 瞑想は、五感の作用を排して、純粋な意識だけの状態をキープすることで、われわれの意識の本質を、少しずつ理解していく操作です。
 
 そういう瞑想で、内的ビジョンがあった場合、最善策は「避ける=見ないように努める」です。
 
 内的聖音は、身体内部のプラーナの運動と連動して変化するので、瞑想意識をコントロールする操縦桿みたいな役割をもっています。
 
 内的聖音も、五感作用的である点ではビジョンと同じですが、内的ビジョンほど強烈な印象作用を意識にもたらすことがないので、瞑想中の内的聖音は許されます(問題視されない)。
 
 ラーマクリシュナ先生の御弟子が、「瞑想中に音が聞こえるとどういういいことがあるんでしょう?」と尋ねたら、先生は「森の中で滝の音がきこえたら、どの方向に滝があるかわかるだろう。それと同じで、聖音が聞こえたら、それに従って進めば良い」と教えられました。内的聖音は最後までガイドの役割を果たしてくれます。
 
 内的聖音については聖書でも「証人」とされていることが、ヨガナンダ先生の「自叙伝」第14章注(3)に書かれています。参照してください。
 
 
 
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