回 答 例 20
 
 
問題 20
 「暗い性格のひとは霊的進歩も非常に遅い」という考え方があります。これについてあなたの考えを述べなさい。
 
 
 
 
 
 
【回答例 20】
 
 一理あります。
 
 ただし、吟味が必要です。
 
 他人から見て性格が暗い、という場合、二種類あります。
 
 ひとつは、暗そうに見えるけど内心は陽気なひと。
 こういうひとは、まったく問題ありません。
 
 もうひとつは、すべてにネガティブなひと。
 これは、問題です。
 
 
 ネガティブであることが優れていると考えているなら、なお問題です。
 
 
    赤ちゃんをみてください。
 
 
 ネガティブな赤ちゃんて、いますか?
 
 赤ちゃんが不機嫌そうな顔をするのは、おなかが空いたとか、暑いとか、おなかが痛いとか、生理的なことが原因です。
 
 それは、ネガティブとはいいません。
 
 性格が暗いネガティブというのは、人生や社会や他人に対して不信感をもっている場合です。なにをやってもつまらない、楽しくない、他人の話を聞いても批判ばかり思い浮かぶ、という状態。
 
 かれ(彼女)の問題は、おおむね、理性勝負で生きていることにあります。
 理性でモノゴトを判断するのが優れている、という理性崇拝です。
 
 でも、人間というのは、理性だけで割り切れるような単純な生き物ではありません。
 
 理性で割り切れないような、ややこしい話があれこれあるから人間で、それが判らないとするなら、かれ(彼女)は子供です。
 
 例外はありますけれども、普通の子供は、霊的進歩ができません。
 
 もっともっと、この地上世界で学ぶべきことがいっぱいあるからです。そのあとに、瞑想なり、なんなりの訓練をしなければ、目に見えないお方も満足してくれません。
 
 ネガティブな人は、他人も認めたくないし、社会も認めたくないし、自分の理性のみの指令に従って生きていますが、これこそが、目に見えないお方の作った「永遠のかくれんぼう遊び」のワナにはまった状態です。いわゆるドツボ。
 
 目に見えないお方は、「かくれんぼう遊び」をしてます。
 
 自分が見つからないための、遊びの手段として、「理性こそ最も優れている」というマーヤ(幻想)を人間に与えています。常に与え続けます。
 
 このワナにはまれば、このワナから抜け出すことは困難です。
 
 しかし、何度も人生を繰り返した人は、このワナから脱出しています。例えば純粋な芸術家、純粋な宗教家、純真な庶民です。
 
 かれら(彼女たち)は、理性も十分にもってますが、なによりもこころを大切にします。
 
 表面的な言葉の意味内容より他人の本当のこころを読み取る能力に優れ、愛情をもって他人に接し、悲しみを共有して同情する能力にも優れます。
 
 形而上の世界では、理性より心が優れているとされる理由は、心の方が理性よりも、目に見えないお方の意識が直接的にあらわれているからです。これはもっと上級のレベルで学習します。
 
 いくら、目に見えないお方を信じていても、同胞である他人や社会に対して素直な気持ちをもてないなら、目に見えないお方も、かれ(彼女)が素直な気持ちを取り戻すまで、社会の中での経験を積むことを望みます。他人の苦しみや痛みを素直に理解できないひとが、聖者になるのは好ましくないからです。
 
 聖者は、他人のこころの痛みを思いやって涙を流します。
 
 自分が解脱したからといって、他人のこころの痛みや苦しみを冷たい目でみるような聖者は、あり得ません。キリスト先生も、ラザロの死を知ったときは涙を流されました。ヨガナンダ先生だって、子鹿が死んだときに泣きました。こんな例は、あげればきりがありません。
 
 もしあなたが、聖者は宇宙の原理のすべてを知っているから、この浮き世の現象によって涙を流すことはないと信じているなら、それは大きな誤解です。
 
 人間として当たり前の喜怒哀楽の感情を失った人間に進歩はありません。
 
 
 
 
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