回 答 例 11
問題 11
「聖者の言葉はすべて正しい」という考えがあります。これについてあなたの考えを述べなさい。
【回答例 11】
こういうことを信じる人は、世界中にいっぱいいます。
こういう次第で、世界中で、いろんな問題が起きるのです。
あのですよ。
聖者は、形而上の自分の経験を語っているぶんには、高貴です。
かれがウソをついてないなら、話の内容は間違いもないです。
でも、ごっちゃにしないでください。
瞑想から日常意識に戻ったら、聖者も普通の人間と同じ意識で生活します。
感覚意識もあるし、精神(理性、心)もあります。
そこで語られる聖者の世間話的なテーマには、普通の人間と同じように、間違いも含まれます。
これは、当たり前なんです。
このあたり、納得できますか?
聖者はすべて正しいと考えてしまう根本的な理由は、たぶんこうです。
@ 瞑想中に聖者は高位の意識と融合している
A 高位の意識は全知全能である
B ゆえに聖者は全知全能である高位の意識に基づいて全ての真理を知っている
初心者がこう考えるのは微笑ましいです。
しかし、そのようなフリをする霊的教師は笑えません。
さきほどの@〜Bの思考過程をもつ人は、ほんとうに多いのです。
ヨガナンダ先生も、SRFの職員に同じような質問をされて、まわりにいた同僚たちがあれこれ理路整然とした説明をするのですが、質問した当人は、結局わからなかったみたいです(THE PATH)。
「ヨガナンダ先生は神と融合してるんだから、先生は神ですよね?」などという質問をするわけです。
ラーマクリシュナ先生は、「ガンジス河を神だとしても、その波(聖者)はガンジス(神)とは呼ばないだろう」と、説明されています。
河と波は不可分一体だけども、波(聖者)は、ガンジス(神)ではない。
これ、わかりますか?
わからないと、ぜんぶゴチャゴチャになって、だまされます。
聖者が、深いサマージの中で普遍霊と一致する(融合する)からといって、聖者が日常生活で神であるわけではないのです。
キリスト先生は、いつも「天にまします父(神)」に祈る姿勢をみせました。それは、父(神)とわたし(キリスト)は違う、同じではない、ということを周囲の人々に言い聞かせる意図があったからでしょう。
キリスト先生は、自分が聖者であることを誇ったり、自慢したりする意図はみじんもありませんでしたよ。安っぽい霊的教師ほど、自分を高くみせようとするのですが、キリスト先生はまことにもって立派。尊敬に値します。
さて、高位の意識に融合した聖者は宇宙の真理も会得する、といったような錯覚は誰にでもあることですが、それも違うことを断言しておきます。
ヨガナンダ先生は、晩年、イエス・キリストに関する文書を作っていました。そのとき、キリスト先生の前世に興味をもって、深いサマージに入って、なんか判るだろうかと努力しました。
結局、わからなかった。
個人的な履歴は、どんなに深いサマージに入っても、探ることは出来ないと述べておられます(ギータ解説)。
サマージは、瞑想意識が普遍霊と融合することですが、普遍霊のもっている全情報まで引きだそうとするような気持ちがあったなら、絶対に普遍霊との融合はできません。
あたりまえです。
個人の履歴を秘守するのは、人間だけではなく、普遍霊も同じです。
個人の秘密を知りたいと思うような下世話な心があったら、普遍霊は彼との融合を拒否します。
だから、放棄せよ! と教えられるのです。
こういう次第で、聖者といっても全部を知っているわけではなく、日常生活の話題に関しては、普通の人間と同じようにしゃべるので、間違いもいっぱいあります。
「先生はすべてをご存じだから・・・」などと思ってたら、とんでもない誤解です。聖者も、日常生活は普通の人間と同じ意識レベルで生きているので、瞑想関係の話題だけ真面目に聞いていればよろしい。
大学の先生、病院の先生、お花の先生、お茶の先生、みなさん教養があるからといってすべて正しいわけではないでしょ? おなじです。
スリユクテスワ先生も、ヨガナンダ先生に謝罪した経緯があるし、ラヒリ先生もババジに怒られたことがあるし、ヨガナンダ先生も。ご自身の説明が間違っていたことを後になって謝罪したことがあります(ギータ解説)。
ヨガナンダ先生は「複雑で専門的な科学的なことは、ある程度の勉強が必要だ」と述べたのですが、後になって「神に判らないことはないので、訂正します」というようなことでした。ラーマクリシュナ先生も同じ間違いがあり、「そういうことは神に頼んでも無駄だ」というようなことを云っていたのですが後になって「神は全能なのだからあれは間違いである」と訂正したことがあります。
いずれのケースも、聖者だって「それは無理だよ」と普通に思っていることが結構ある、と、みなさんには、それを理解していただきたいです。