回 答 例 10
 
 
問題 10
 「瞑想のように心をからっぽにすると悪霊が入り込む危険があるので、グルの直接指導を受け、グルによる庇護保証を受けてから瞑想すべきである」という考えがあります。これについてあなたの考えを述べなさい。
 
 
 
 
 
 
【回答例 10】
 
 久しぶりに、ちょっとは骨のある設問です。
 
 こういう疑問をもつひと、こういう説明をする霊性教師は、多いです。
 
 こういうふうに考える理由の根本は、瞑想が「無念無想」である、
 
 あるいは「無念無想」を目的とする、と信じ込んでいるからです。
 
      無念無想って、なりますか?
      ねえ、みなさん・・・
 
 なりませんよ! 初心者は!!
 
 理性と心が活発に働いて、あれこれ思い出したり、明日のことを考えたり、あれはマズかったなあと後悔したり、今度はコウしようと考えてみたり、ま、忙しいもんですよねえ。
 
 設問のような状況、「心がからっぽ」になんて絶対にならないのです。
 
 
 では、少し上達してサマージに入ったら「からっぽ」になるかと云えば、それもなりません。
 
 
   じゃあああ、ニルビカルパでは?
 
 
 断続的に無念無想になることもありますが、その状態では圧倒的なエネルギーに意識が満たされているので「からっぽ」ではないです。
 
 ラーマクリシュナ先生が「意識(普遍霊)を思って無意識になることなんてあるもんか」と云われましたが(福音全巻)、まったくその通りです。
 
 入門当初のひとが云うなら笑えますが、霊的教師が云うなら笑えません。かれは、何も知らずに教えていることを自ら証明するようなものだからです。
 
 ヨガナンダ先生も、SRFの設立当初、この設問と同じような疑問をされて困りました。
 「通信教育はよくない」という指摘です。
 なぜグルが直接教えないのか、酷いじゃないか、というような。
 
 意識に悪霊が入り込むということを恐れるひとは全世界にいます。
 
 だから、もしあなたが不安なら聖者の写真を飾って守ってもらえるよう、お願いしておけば十分です。SRFでもラーマクリシュナミッションでも聖者の写真や像を飾っていますね。不安な人には、写真や像が必要です。心配しない人には何も必要ありません。
 
 そもそも、意識がからっぽになるようなことは、入門時も、ちょっと進歩した中級段階でも、かなり上達した上級段階でも、そこからさらに進んだ最上位レベルでも、あり得ないことです。
 
 「悪霊が入り込むかも」という自身の不安が最も危険な意識であって、大丈夫、ノープロブレム、と思っている人はまったく心配ありません。
 
 瞑想は、目に見えないお方が最も好まれる、人間の最高の行為です。それに対して、悪霊を送り込むような意地悪は、絶対にされないことを肝に銘じてください。
 
 
    悪霊の立場に立って考えてみますか?
 
 
 ここに瞑想中の人間がいます。
 この人の意識は、雑念混じりですが、プラーナを脊柱に沿って上に上昇させようとしています。
 
 プラーナを上昇させようという意識は、それ自体が「普通の人の意識とはまったく異次元の高貴な意識」なので、悪霊は、かれに近寄ることも出来ません。すぐさま退散するしかありません。たとえ、瞑想中のひとが、間違って眠ってしまったとしても、瞑想をしている人をこよなく愛する目に見えないお方は、かれを完全に守るでしょう。こういう仕組みになっています。
 
 瞑想中の人が、ほんとうに僅かでもプラーナが上昇しているなら、かれの身体(脊柱)は瞑想中に輝くので、悪霊の方が恐れます。聖音が聞こえている人も同じです。聖音を聞いている人の意識は高貴なエネルギーに満ちています。悪霊の方が恐れて近寄ることも出来ません。
 
 要するに、善良なるみなさんは、ばかみたいに「大丈夫」と思っていれば、それで大丈夫です。
 
 もしも、不安があるなら、どうにもなりませんから、目に見えないお方に「よろしくお願いします」と頼んでおけば、それ以上の安全はありません。
 
 
 
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