回 答 例 4
 
問題 4
 「肉食は生類の平等に反するので、瞑想を行う者は絶対に肉食を避けるべきである」という考えがあります。これについてあなたの考えを述べなさい。
 
 
 
 
 
 
【回答例 4】
 
 インドでは伝統的に、こういうような考え方があります。
 
 しかし現代の日本でこんなことを云っていたら、給食も食べれないし、外食もできません。
 
 つまり、普通の生活ができません。
 普通の生活が出来ないなら、瞑想もできなくなります。
 こうして、肉食を拒否するひとのなかには自分で自分を拘束して、瞑想もしないくせに肉食拒否だけを続ける人がいます。
 
 インドで云われる肉食の否定は、スープの素材に肉が使われているだけでもダメなのです。
 ラーメンも食えないし、日本のビーフカレーもダメです。
 
 ニューデリー行きの日本航空の機内では、食事のことでインド人が文句を云うので、すったもんだが起こることがありました。
 日本航空としては、きちんと調理した食事をサービスしているのですが、「このスープに肉(魚)は使ってないか?」「調味液に肉(魚)は使ってないか?」「保証できるのか?」といった、面倒な話になって、CAが明瞭に否定しないとモメることがあります。
 
 日本人は、戦前(第二次世界大戦前)までは、あまり肉食の習慣がありませんでした。海魚、川魚がありましたし、イナゴなども食べたし、豆腐などでタンパク質をとったわけです。肉類を食べない理由は、宗教的な理由だけではなかったと思います。いろいろ複雑な理由があったのだと想像します。
 
 で、現代では西洋人の方が多くの魚を食べて、日本人が魚より肉を食べる、といわれるくらいに、奇妙な状態になってます。
 
 瞑想を行う者が肉を食べないのは悪いことではないですが、それを頑固に守る必要はありません。
 
 肉を食べると霊的前進に障害があるかないかで云えば、ないです。
 
 これを書いているコバヤシは、殆ど肉を食べません。
 姉が、自分で肉が嫌いだったので、幼児だったわたしに、肉は、鶏肉も、牛肉も、豚肉も、ぜんぶ気持ちが悪いと叩き込んだのでした。
 
 その影響がありますけども。
 トンカツは友人の奥さんが結婚前に作ってくれたものを一回食べたことがありますよ。ビーフシチューは、大学生になったときにJR田町駅の日本食堂で3回食べました。でも牛丼は一回も食べたことがなく、チャーシュー麺は注文したことがありません。
 
 チーズハムサンド、ラーメン、カレー、ミートソーススパゲティは、抵抗なく食べます。肉はよけますけど。ラーメンは、たいていチャーシュー抜きで注文します。学生時代から30歳くらいまでは、ハンバーグも食べましたヨ。
 
 食べ物のことを堅苦しく考えてたら現代の日本では瞑想なんか出来ません。
 
 スリユクテスワ先生の「聖なる科学」には、肉食は好ましくないことが書かれていますけど、「好ましくない」という程度の気持ちでいいと思います。
 
 スリユクテスワ先生は魚は食べました。フィッシュヘッド・カレーが得意料理だったそうで、ヨガナンダ先生はレシピを公開しています(Mejida)。
 
 インドの聖者はたいてい肉食を避けますが、これはインドの伝統であって、それを現代の日本人が真似しても何にもなりません。
 
 ナニを食べようが、霊的前進に悪影響はないと考えてよいです。
 好んで肉ばかり食べるのは腸が長いわれわれ東洋人にとっては、あまり健康的でないヨ、という位のことを知っていればいいのではないかと思います。
 
 海のないスイスに行きますと、夕食に牛肉しか出てこないこともありますけど、それだって良いとか悪いとかでなく、その地ではそれをみなさんが普通に食べるのだからそれで良い、と割り切らないと旅行もできません。
 
 冒険家の植村直己さんは日本にいるときは肉を食べませんでしたが、カリブーの生肉を食べるエスキモーと一緒に生活したときは、その地方の食べ物(生肉)を食べる練習をしました。立派な姿勢だなあ・・と感心します。
 
 
 
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