回 答 例 2
 
 
問題 2
 「金銭や財産は、霊性を高める修行者には必要がない。しかも、金銭や財産は意識を下世話な世俗に向かって低下させるので放棄した方が賢明である」という考え方があります。これについてあなたの考えを述べなさい。
 
 
 
 
【回答例 2】
 
 こういうのを、ばかまるだし、と云いいます。
 
 霊性を高めようとする修行者が一文無しだったら、かれは世の中で生活できません。生活できなければ、修行もナニもありません。
 
 現代社会は、修行者であろうとなかろうと、日常生活を送るにはお金が必要です。いつまでも子供のままなら、だれかがお金を払ってくれますが、そうはいかないデショ?
 
 友達と会って食事をしても毎回おごってもらう生活を続けることは出来ないし、毎月のガス代も払わなきゃならない。
 
 預金も財産ですから、それを放棄するのは好ましくありません。
 家屋敷があるとしても、それが霊性進歩の障害になることはありません。
 
 
 むしろ、障害になるのは、「障害になるのでは?」という不安感です。
 大丈夫!
 財産は、あなたの障害になりません。
 
 
 ちょっとだけ寄り道しますね。
 スリユクテスワ先生の父上は資産家でした。たくさんの家屋敷、不動産がありました。ユクテスワ先生は、師匠のラヒリ・マハサヤ先生と出会った後、放棄を実践するつもりだったのでしょう、セランポールの自分の家を除いて財産を処分しました。ここが僧院となり、現在はメモリアル堂としてSRF(YSS)によって管理されています。
 
 でも、先生だって自分の家(僧院)とプリの別荘は、そのまま所有してました。もしも完全な放棄が必要なら、全部処分すればいいのに、そうはしなかった。「軽くした」程度で、とどめておいたのですが、それで正解です。
 
 
 財産は、あっても悪くはないが、ありすぎるのも好ましくない、と、当人が内心でわかっていれば十分です。
 
 それだけで十分で、まったく霊性の訓練の障害にはなりません。
 
 財産があると霊性を下降させる、という点も、ばかなはなしです。
 
 
      そんなことはありえません。
 
 
 霊性を下降させるのは、野心、野望、権勢欲といった、世俗に対する抜きがたい強い執念であって、財産そのものは、何の影響もありません。
 
 ただし、蓄財の過程で、強い野心や欲望に基づいて行動し、金銭や身分に対する強い執着心が身にしみてしまえば、おおきな障害となります。
 
 
    自業自得です。
 
 執着心が良くないのであって、結果物(金銭)には罪はありません。
 
 すこし勉強した人なら、「ではラーマクリシュナ先生がおっしゃる『女と金がマーヤなのだ』という説明はウソだと云うのか!?」
 と思うかもしれません。
 
 ラーマクリシュナ先生がおっしゃっているのは、それにしがみつくな(執着するな)ということであって、出家する者は形式的にも放棄しなさい、ということです。
 
 出家者が厳しい放棄を行うのはインドの伝統です。仏陀先生も、すべてを放棄しました。
 
 しかし、それを現代日本で同じようにせよ、ということには無理があります。
 
 
 インドでは、修行者は列車に乗ってもタダ、バスに乗ってもタダという伝統があります。修行のためならどこにでも無一文で行けます。そして、修行者を尊敬する親切な人々に温かい食事をもらえます。かれらは瞑想だけしていればよい。そういう伝統が少しは残っています。
 
 日本で、同じようなことをやれば逮捕されて、留置場です。
 
 伝統、歴史、社会的理解の環境がまったく違うインド方式を、そのまま日本でやるのは100%無理。無理なことは、できません。
 
 
 
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